2008年2月15日金曜日

冬瓜息子と蘆仙人

 今でも南支那の漳州府と云う都の、城南門内には南台廟と云う廟がって、そこには青い顔をした紅鬚の神様の像が祀ってあります。この神様の像は張趙胡爺と云う神様の像で、それがこの話の主人公のです。

 昔南支那の潮州府潮陽縣と云う所から八十清里ばかり距れた所に、龍角村と云う小さな村がありました。小さいながらごく平和な村で、その村に張老児と云う人が住んで居りましたが、この人は大そう不幸な人で、子供もない上に妻にも早く死に別れてしまいました。けれど根が律義者の事とて、いろいろ言ってくれる者のあるにも気もとめず、今日が日まで長い歳月を、自分の影法師とたった二人きりの対座で、鰥生活を続けて来ました。家には多少財産もあり、貸家の四五軒も持っていますので、至極気楽にその日その日を送っておりました。ところがある年の夏のことでした。慰み半分庭の隅に植えた一本の冬瓜の苗が、何時の間にか成長して、その巻鬚が隣家の趙二郎と云う人の家の屋根にまで匐い蔓りましたので、趙から恐ろしい苦情を持ち込まれました。で張は甚く弱っておりましたが、そのうちに巻鬚はその又隣りの胡小三と云う人の家の屋根にまで匐い蔓ったものですから、今度は胡まで同じように苦情を言って来ました。張はすっかり閉口してしまって、飛んで面倒が起ったものだと、嘆息しました。

 隣家からの苦情は、なかなか手厳しいもので、人の家の屋根にまで匐い出して、迷惑をかけるような冬瓜は、どうしても切り捨てて貰はたきゃならんと言うのでした。で、張も仕方なく、折角植えてやっとこれまでに成長した冬瓜、惜しいけれども、他人に迷惑をかけるのでは、切らずに措けぬと思って、いよいよ切り捨てることに決心しました。さて翌朝張は鋏を手にして庭に出て、成長した冬瓜を惜しそうに眺め、蔓延てる巻鬚の行衛を辿って見上げると、胡の家の屋根に匐い蔓っている巻鬚の葉蔭に思いかけず大きな冬瓜が一つ生っているのが目につきました。で、張は覚えず、

 『やア冬瓜が生っているぞ、これやア珍しい』と叫んで、驚きの眼を瞠って暫時その屋根の上を見上げておりました。

 思いもよらぬ発見物に驚いた張は、これは珍しい、たとえ他人の家の屋根に生った冬瓜でも、自分が植えた木の巻鬚に生った以上、私の所得物だ、今日は切るのを止めにして、二三日経ったら獲ってやろう。大分大きいから味も甘いに違いない。と、ほくほくしておりました。するとその時、鋏の音を聞いた胡は、さては苦情を云ったので、張の奴いよいよ切ることにしたなと思って、これも庭に出て張の様子を窺うと、張は我家の屋根を見上げて切りに何か独言を云っているのです。で、胡はこれは可笑しいぞと思って、何気なく自分も屋根を見上げますと、其処に大きな冬瓜が一つ転がっているのが目につきました。これを見ると胡も思わず喜びの声を挙げて、

 『これや有難い、大きな冬瓜だ、俺の家の屋根に転がっている。これは当然おれの所得物だ』と、これも独断に自分の物として、有卦に入ってにっこりしました。

 独断で勝手に自分の所得物にしていた張と胡は、すっかりににこにこもので、その翌日からは毎日屋根を見上げて、喰い頃になる日の来るのを、心嬉しく待っておりました。するとそれから暫く経ったある日のことと、胡はまたいつものように屋根を見上げて、

 『うむ、もう喰い頃だろう、一つ取って食べるかな』と云いながら、屋根に梯子をかけ、のこのこその上に攀って、冬瓜を取り、嬉しそうに抱えて庭に下りて来ました。そして、

 『やぁ甘そうだ、有難い』と云って、窓に置いて一人で悦んでおりました。そんな事とは知らぬ張は、これももう喰い頃になっただろう、とその翌朝胡に知れないように、自分の家の屋根に梯子をかけて、そこから、屋根伝いに胡の家の屋根に来て、冬瓜を取ろうとしてふと見ると、これはまたどうした事か影も形もありません。

 『おやッ、無いぞ、おかしいな、昨日までちゃんとあったのに』と怪いみながら屋根じゅうを捜し廻りましたが、どうしてもみつかりません。不思議な事もあるものだとは思いましたが、ないものはどうにもしようがないので、ぶつぶつ不平を云いながら、わが家の庭に下りて来ました。けれどどうも不審で仕様がありません。

 ところがその後、ある用事をすましての帰途、胡の底先を通りかかってふと垣根越に見るともなく中を見ると、計らずも、その窓の上に例のなくなった冬瓜がちゃんと置いてあるではありませんか。張は吃驚して、

 『やァ、あるぞあるぞ、確かにあの冬瓜に相違ない』と覚えず声をあげました。そして垣根越に大声で、

 『おい胡さん、えらい大きな冬瓜じゃないか』と云いました。部屋の中にいる胡は、こう云われると急いで窓から顔を出したものの、呼んだ者が張なので苦い顔をしました。けれども今更隠れもならず、ただ、

 『やァ、これかね』と云ったきり、にやにや笑っていました。

 張は胡の様子と窓に冬瓜が置いてあるので、あの屋根の冬瓜はてっきり胡が取ったに違いないと思ったので、

 『おい、一体そんな冬瓜が何処にあったね、どうして手に入れたんだい』と訊ねました。すると胡は冬瓜を見ながら、

 『ああこれかい、これは俺の家の屋根に生ったのさ』と云いました。これでいよいよ胡が先越しをして取ったのだということがはっきり分りました。張は口惜しいことをしたとは思いましたものの、冬瓜は現に胡の手許にあるので、それを自分の所得物とすることは出来ません。で、これは何とか口実を設け取ってやろうと考えて、

 『おいおい、その冬瓜は私の所得物だよ』と云いながら、ずんずん庭へ這入って行きました。

 さあこうなると胡も黙ってはいられません、すぐさまそこへ飛びだして、

 『張さん、妙なことを云うじゃないか、全く冬瓜は私の家の屋根に生ったんだからね、それを私の所得物にするのは当然だろう』

 『それや成程胡さん、冬瓜はお前さんの家の屋根に生ったんだろうが、それも私が冬瓜の苗を植えたからだ、そうすれば冬瓜は私の所得物じゃないか』こう言いながら張は窓に置いてある冬瓜に手をかけようとしましたので、たうとう喧嘩になってしまいました。ところがこの喧嘩の声を聞いて出てきたのが、二人の家の間に住んでいる趙二郎です。

 『まァまァ待った』と両方を宥めて、お互いの言分をすっかり聞きとりました。それで仲裁するのかと思うとそうではありません。

 『おいおい、お前さん達が幾ら喧嘩をしてまで取ろうと思ったってそれゃいけない、その冬瓜は私の所得物さ。まァ考えて見るがいい、たとえ張さんが苗を植えたにしろ、また胡さんの家の屋根に生ったにしろ、もし私が私の家の屋根に蔓った巻鬚を切ったらどうだい。冬瓜なんぞ生るもんかね。私が丹精して巻鬚を蔓らせたからこそ生ったんだよ、そうすれば冬瓜は私の御蔭で出来たと云っても可い、だかろう私が貰うのさ』と、変な理屈をならべて自分の所得物にしようとしました。ところが二人はなかなか承知しません、この不届もの奴と云って喰ってかかったので、喧嘩はいよいよ大きくなってしまいました。

 三人は暫く喧嘩をしていましたが、やがて張は何と思ったか、急にようすを変えて、

 『おいおい、一寸待て』と手を拡げて、『どうだね、お互いに冬瓜一つで喧嘩したところで、しまいには怪我をするくらいおちだ、馬鹿馬鹿しいじゃないか。それよりも一つこうしよう、冬瓜が一つだからこそ誰が取っても工合が悪いのだ。公平に三つに分けよう、そうすれば誰を怨むということもなくなるわけだ、どうだねそうしようじゃないか』と、こういいだしました。胡も趙も初めのうちこそぐづぐづ云っていましたが、喧嘩など馬鹿げたことと気がついたのでしょう、渋々それを承知しました。そこで相談が纏まり、一つの冬瓜を公平に三つに割って、その一片ずつを取ることにきめました。

 張が発頭人でもあり、こうしたことは馴れた器用な男だと云うところから、分配役を引受けることになりました。で、すぐさまわが家に帰って庖丁を持って来て、二人の面前で冬瓜を三分しようとしました。ところが不思議な事に庖丁を入れたと思うと冬瓜の中からは、顔の青い鬚の赤い子が、ひょっこり躍り出ました。三人は、

 『あッ、赤ん坊が……』と云って吃驚仰天、意外の珍事出来に呆れ返って、ただ顔を見合せているばかりでした。けれどその後儘にして置くわけにもゆきません。

 『これは不思議だ、冬瓜の中から人間の子が躍り出すなんて、全く驚いた』と云いながら、さてこの子の始末をどう附たものかと、三人首を捻って考えましたが、頓といい思案も浮びません。これには三人とも往生してしまいました。

 『一体この子は誰の子にするんだ』最初にこう云ったのは胡小三でした。三人で争った冬瓜から生れた子なので結局は三人のうち誰か一人が引受けなければならないと思ったのです。すると張老児は見るからこの子が悧巧そうなので、幸自分は子のない鰥暮し、一層自分の子にして引取ろうと、こう考えつきました。そして、

 『ねぇ、趙さん、胡さん、どうだろう一つ相談があるんだが、と云うのはこの子さ、お互いに三つに分けようとした冬瓜から生れた子なのだから、いずれは私等で誰かが引受けることになる。どころでお前さん達も知っての通り、私は子供もない鰥だ、相続人もない事だから、私が死んだら家も自然滅びてしまうということになるのさ。でどうだね、この子を私に呉れないか、可愛がって育ててやるが……』と云いました。ところが胡はなかなか承知しません。

 『いやそれやいかんよ、この冬瓜は私の家の屋根に生ったのだし、この子はその冬瓜から生れたのだ、だからこれや私が育てるのが当然だ』こう云ってどうしても子供を張に渡そうとしません。それでまたもや喧嘩になりそうになりました。

 冬瓜なら三つにも分けられますが、人間の子ではどうもそういうわけにゆきません。それかと云って張にも渡されなければ胡にも遣れず、二人の間に入った趙はその裁きに困ってしまい、何とか名案はないかと、一人でしきりに考えておりました。すると丁度その時好い工合に、納税の催促に来る陳姚徳と云うこの村の役人が、そこを通りかかりました。これを見た趙は、これは好い処に好い人は来たものだと、早速姚徳に今までの一伍一什を話して、その裁決をつけてくれと頼みました。姚徳はその話でこの場の様子を知り、冬瓜から子が生れたのは、いかにも不思議だと思いましたが、折角頼まれるのですから、何とか始末をつけなければ、役人と云う身分の手前もあり、いやとも云えず引受けてしまいました。けれどもさしあたって名案も浮びません。暫くじっと考え込んでおりましたがさすがふだんから智慧者と云われている人だけに、やがて何か考えついたものと見えて、一人頷き、にっこり笑って三人の顔を見較べてこう申しました。

 『そうだ、冬瓜はお前達三人で分けると云ったな、それじゃ冬瓜はお前達三人のものに相違ない。であって見れば、その冬瓜の子なら、子供もやっぱりお前達三人の子じゃないか、だから誰彼の子と云わずに、お前達三人の子にするんだね。そして名も三人の家の姓を取って、張趙胡と付け、三人もやいで育ててやることにしてはどうだ。ねえ、そう定めることにしようじゃないか』こう言われては仕方がありません、姚徳の裁いた通り、子供には張趙胡と名をつけて、三人もやいで育てることになりました。

 青い顔をした、頭髪の赤い冬瓜の子張趙胡は、姿こそこんな妙な様子をしておりましたが、その悧巧なこと、元気なことと言ったら、実に素晴らしいものでした。で、三人はこの子が成人したらどんな傑物になるかも知れないと云うので、まるで競争のようにして大切に可愛がって育てましたので、張趙胡はぐんぐん壯健に育ってゆきました。それに大きくなるにつれて、その賢明くなることと言ったら驚くのほかありませんでした。これでこそ育てた効があると、三人の育親は大喜悦で末頼母しく、生みの子にも優るほど可愛がり、なほも心を砕いて育てておりました。ところが、張趙胡が十六歳になった時、折角生みの親にも劣らぬほど慈愛をかけて育ててくれた親共は、不思議にも張老児を最先に、続いて趙夫婦胡夫婦と、仮の病が因となって、次ぎから次へと死んでしまい、可哀想に張趙胡ただ一人とり遺されました。きっとこれも何かの因縁でしょう。

 孤児になった張趙胡は、淋しく此処で生活をしなければならない事になりましたが、根が賢明な少年ですから、淋しいからといって何時までも泣いているようなことはありません。子供ながら行末のことをいろいろと思いめぐらしておりました。ところがある日のこと、机に対って読書していましたが、何思ったのか、急に読書を止めて、腕組をして、じっと考えこんでしまいました。そして、

 『そうだ、もう私は一人ぼっちなんだ、何時までこんな所にいるでも仕方がない、それよりは一奮発して何処かに出かけ、うんと修業して、傑い物になろう、それが可い』と独言して、男らしくそれと決心しました。そして家事万端一人で始末した上、明日はいよいよこの土地を去って、知らぬ諸国を巡り、良い師匠を見つけようと、その日の夕方、育ててくれた親達の墓に参詣しました。

 『私は明日から旅に出て、良い師匠を尋ねて修行をいたすつもりでございます。長い間御育て下さいました御恩は決して忘れはいたしません、成業の暁には必ず御恩報じをいたしますから、暫くお暇を下さいまし、今日はそのお暇乞に参ったのでございます』と、まるで生きている親にでも云うようにこう云って暇乞いをし、やがて其処を立ち去ろうとしました。けれど流石に名残が惜しまれて、近くの丘の草原に腰を下して、今の身の上や行末の事などを、考えるともなくいろいろに思いめぐらしておりました。ところが、何時の間に来たのか、紅顔白髪の乞食姿をした、一人の老人が何処からともなくふと姿を現して、じっと張趙胡の様子を見ておりましたが、暫くするとつかつかと彼の方へ歩み寄って、

 『ああもしもし』と声をかけました。『お前さん何をそんなに考えこんでいるんだね』

 張趙胡は吃驚して、さも怪訝そうに老人の顔を見つめました。が、老人は人のよさそうな顔をしてただにこにこ笑っているのです。場所が場所だけに、さすが張趙胡も少し薄気味悪くて、すぐには返答も出来ませんでした。すると老人はまだ笑い続けながら、

 『ははア驚いたかい、これは飛んだ失礼をしたな、不意に声をかけたりして……』と気軽にこう詫びました。

 『だが、わしにはお前さんが気に入ったよ、それで声をかけもしたんだがな、まア勘弁してわしの云うことを聞くがいい。わしはこんな姿こそしているが、決して怪しい者じゃない。そら、あのずっと向うに見えるあの山に住んでいる老爺だかな。今此処へ来てお前を見ると、急にこう可愛くなってしまったのさ。だが、何をそんなに考えこんでいるんだね、一つ話してごらん、相談相手になろうじゃないか』

 優しい声でこう言われて、張趙胡の疑も幾分薄らぎました。それに見ず知らずの老人が、こんなに優しく言ってくれるので急に嬉しくなって、懐かしそうにその顔を見上げながら、

 『実は私は張趙胡と申す者ですが、かようよう次第で……』と、今日までの自分の身の上を、少しも包まず話しました。老人は時々頷きながらだまって聞いておりましたが、やがて張趙胡の語り終るのを待って、

 『それじゃつまり師匠を尋ねて旅立ちしようと云うんだな』と問い返しました。そこで、張趙胡はそうだと答えました。すると老人は、

 『そうか、お前さんが、心から修業する気なら、一つわしが教えて進ぜよう。わしは浙江の盧山王だよ。明日わしの所へ訪ねて来なさい』と云い残しておいて、張趙胡の返事も待たずに、ぶらりぶらりと何処へか立ち去ってしまいました。張趙胡はこの乞食爺さんが本当にあの名高い盧山王かしらと思いましたが、兎に角明日になったら訪ねて見ようと決心して、墓場を後に我家をさして帰りました。

 盧山王というのは、浙江の山奥に住んでいる名高い学者で、当時誰知らぬ者もないくらいの人でしたが、何しろその住家が恐ろしい山奥なので、よっぽど熱心な者でない限り、教を乞い者も至って尠かなったのです。龍角村からそこまではなかなかの遠路です。しかもその道と来たら頗る難路で、その上途中には猛獣や毒蛇が徘徊すると云うのですから、物騒この上もありません。張趙胡はそのくらいの事でびくともするような子ではありません。修業したさの一念で、山を越え川を渋り、林を通り、森を過ぎて、ある時は猛獣の吠える声を聞き、或る時は毒蛇に追われながら、日が暮れると木の下蔭や巌蔭などに夜を明かすなど、あらゆる艱難辛苦の数を尽した揚句、やっとの事で盧山王の住家に辿り着きました。けれどもその時には餓と疲れのために言葉もでないくらいに疲れはてておりました。

 『ご免下さいまし』門口まで来ると、彼は満身の勇を皷して案内を請いました。『わたくしは龍角村の張趙胡と申すものでございます、先日のお約束通り修業に参りました。先生御在宅でございますか』

 するとひょっこりそこへ姿を現したのは、先日とは変って、まるで神様のように神々しい盧山王でした。

 『おう来たか、感心感心』先生はにこにこもので大変いいご機嫌です。『大方途中で往生しただろうと思っていたが、よく来てくれた。さあ上れ』と、自分の居間に連れて行きました。そして張趙胡が途中の艱難辛苦を話すと大層感心して、

 『よしよしそうなくてはならん。これからわしが充分教えてやろう、一心に修業するんだぞ』

 手厚く歓待されて、その夜は床に入りました。

 さてその翌日になるといよいよ師弟の約束を結び、張趙胡は一生懸命修業を始めました。が、人の一心ほど恐ろしいものはありません。根が悧巧な上にまるで命がけて勉強した張趙胡は、僅四五年の間に、師の盧山王でさえ舌を捲いて驚くほどの、天晴智勇兼備の若者となりました。これならば盧山王の後継者となっても恥かしいことはありません。盧山王の満足はいうまでもないこと、いつしかこの噂が龍角村に伝って、村人は誰も彼も驚き褒めぬものはありませんでした。ところが丁度その年、漳州に一つの騒動が起きました。謀叛人が起って漳州のお城を攻めとってしまったのです。そして人民どもはその賊軍のために苦しめられると云う有様で、漳州の都は日一日と荒されてゆく一方でしたが、さて城主の為に賊と戦うと云う者は、誰一人としてありませんでした。するとその時誰から聞いて知っていたのか、城兵の一人が、

 『浙江の山奥、盧山王の処に、張趙胡と云う傑物がいるから、その人を招いてもう一合戦してみたらどうだろう』と云いだしました。そしてそれを城主に勧めたので、城主は早速盧山王の所へ使者を遣し、是非張趙胡に軍師となって、働いて貰いたいと、盧山王に頼みました。漳州の様子をよく知っている盧山王は、城主の心中を察して、一も二もなく承知しました。そこで、いよいよ張趙胡は漳州方の軍師となって働くことになり、盧山王から暫時の暇を貰って、漳州の陳屋をさして出発しました。

 漳州軍の軍師となった張趙胡は、すぐさま戦に敗れて散り散りになった城兵をとり纏め、勢い猛く賊軍を攻めつけました。年齢こそやっと二十歳の若者ですが、さすが盧山王に就いて充分に修業しただけあって、奇策縦横天晴れ無双の大将振り。率いている軍勢は疲れはてた敗兵にも拘らず、さしもに強きを誇った賊軍を、木葉微塵に買改め散らし、一度陥った城を再び取り返して、とうとう賊を一人残らずうち取ってしまいました。そして漳州府は以前の通り安泰となりました。城主始め人民達の喜びは言うまでもなく、その評判は一時にぱっと四方へ広まりました。そして漳州府の人々は張趙胡を神様のように崇めて、是非この地に止まってくれるようにと、仰まんばかりにして頼みましたけれど、張趙胡はまだ修業中だからと云って、その願望を退け、位置や名誉にも目もくれず、別れを惜しむ人々の袖を払って、再び浙江の山奥、盧山王の許へ帰って行きました。けれどその後は一生を修業にゆだねて、漳州は無論のこと、他の土地にも決して姿を現さなかったと云うことです。

 その後漳州人は、張趙胡が死んだと聞いて大層悲しみ惜しみ、この人こそ漳州人にとって命の親だ、守護の神だと云うので、護国掌教大神仙という神に祀りました。が、その後、漳州の人達は相談して、この人の恩徳をいつまでも忘れぬためにと云うので、漳州府城南門の内に一つの廟を建立しました。それが今も残っている南台廟であります。