2007年12月15日土曜日

劉大人と焼卵の話

 まだ台南が台湾の首都だった昔のことです。台南に状元と云う今で云えば博士に相当する学位を持った劉如水と云う人がありました。何しろ状元と云う学位は、難しい官府の試験に合格した者でなければ授けられないので、状元の学位を有つ人々は、いずれ劣らぬ学者ばかりで、みんな立派な人達でした。劉如水もその中の一人で、人々からは劉大人と尊敬され、ある官衙の長官になっていました。

 ある日の夕方のことでした。この劉大人は一日の勤務を終わって役所を出かけた時ふと、はや長い間ご無沙汰をしている兄の家を久しぶりに訪ねようと、思い付きました。そして自分の家へは使いを出してこのことを知らしておいて、一人でぶらりと役所の門を出て、兄の家をさして歩きはじめました。劉大人は歩きながら、こうした町の様子を見るともなしに眺めて、久し振りで逢う兄のことや嫂のことを心に描き、逢うて語る時の楽しさなどを考えて、にこにこしながら一歩一歩兄の家に近付きました。兄の家はこの賑やかな町の端れでした。町を通りぬけると、そこに門があって、その側には繁った榕樹が、夕闇の中にほの黒く見えていました。劉大人はその門の内へつかつかとはいり、玄関に立って、

 『頼まう、御免』と案内を乞いました。すると、奥の方で女の応える声はしたと思うまもなく、そこには顔馴染の女中が顔を出しました。

 『おや、お分家の旦那様で。いらっしゃいまし』と、にこにこ愛嬌を見せながら丁寧に会釈すると、そのまま奥へはいってしまいました。

 劉大人は妙なことをするなと思いながら玄関に立っていると、やがてそこへ姿をあらわしたのは優しい嫂でした。

 『まあしばらくでしたね、ようこそ。さあどうぞ……』かう云いながら、自分が先にたって、劉大人を応接室へ案内しました。そいて室の入口で軽く会釈したと思うと、これもまた奥へ行ってしまいました。劉大人は仕方なしに、そこにあった一つの椅子に腰を下ろしました。やがて一人の召使いがやって来て、美しい飾燈に燈をともしました。幾ら待っても二人とも出て来ません。そのかわり、女中が入れ替わりに煙草やお茶やお菓子などを運んで来ては、卓の上に置いて、待遇してくれました。けれど兄も嫂も一向出て来る様子がありません。劉大人は所在ないままに、茶を喫んでは、煙草を吸っていました。そして紫色の煙が室の彼方にゆらゆらと流れて、末は薄く消えてゆくのを、ぼんやりと見送っていました。

 大分長いこと待たされた劉大人は、余り兄や嫂が出て来ないのがそろそろ不思議になってきました。「いや、ひょっとすると兄さんは不在なのかも知れないな。それに嫂さんは女のことだから、夕飯の仕度でもしているんだろう。これは飛んだ邪魔をしたな」劉大人はふと思いつきました。そしてうっかり訪ねて来たことを今更のように後悔しました。すると丁度その時室の外に足音がして、誰か来るらしい気色がしたので、座作を改め椅子に腰を下ろして待っていると、室の扉が静かに開いて、美しい着物に着換えお化粧までした嫂が、淑やかにはいって来ました。

 『まあ長いことお一人でお置き申してほんとにすみませんでした、失礼しましたね』嫂はこう云って、会釈しながら、劉大人と卓を挟んで椅子に腰を下ろしました。劉大人は長いこと待たされましたが、嫂からかうでられては怒るわけにもゆきません。

 『いや、私こそ飛んだ失礼をしましたね、丁度お忙しい時分お邪魔をしてしまって』と挨拶して『時に嫂さん、兄さんは?』と、訊ねました。心の優しい嫂は、折角訪ねてくれたのに不在なので、何となく気の毒でならないと云った様子で、

 『まあ、ほんとにお生憎でしたね。今日は不意に急な用が出来まして、午後から出かけたのでございますよ』と、いかにも済まないと云ったように、俯いて詫びるのでした。

 折角久し振りに訪ねて来たのに、兄が不在と聞いた劉大人は、聊か失望しましたが流石に嫂の手前、残念と云った風を見せるわけにもまいりません。

 『ああそうですか、それや残念ですな、でも、御用があれば仕方ありません。それに私も出抜けにやって来たのですからね』と云って、すぐに帰ろうとしましたが、この儘帰っては嫂の気を悪くするだろうと思って、そのまま腰を落ちつけて、暫く嫂と四方山の話を続けていました。やがて、帰ろうと座を立って、

 『じゃ、また来ましょう』と云いました。すると嫂は慌ててそれを引き止めて、

 『まあいいじゃございませんか、主人がおりませんでも』と云いました。この儘帰しては気が済まぬと云いような口ぶりでした。劉大人はそれを軽く受けて、

 『いや何です、兄さんの留守に長くお邪魔しても悪いし、それにもう夕餉時分ですからね』と腰をあげかけました。

 『まあ何をおっしゃるの、そんなご遠慮には及びませんわ。主人は留守でも私がお相手いたしますわ。それに丁度ご飯時でもございますから、何にもありませんが久し振りに召し上がって下さいな。もう仕度も出来ましたし、召上ってるうちには主人も帰るでしょうから』嫂はこう言ってしきりに止めました。「さては先刻長く待たしたのは夕餉の支度をしていたのだな」劉大人はかう気がつくと、それでも無下に帰るとも云えず、折角の志を受けずに帰るのはかえって失礼と思って、

 『いや、それじゃ何でしたね、かえってご迷惑に来たようで恐縮します。折角ですから、それじゃ遠慮なく、御馳走になることにしましょう』と帰るのを思いとどまり、嫂の好意を感謝しました。

 何事にもよく気がつく如才ない嫂は、劉大人の久し振りの来訪に、折柄の夕餉時なので、すぐさま夕餉を支度しましたから、劉大人も快く御馳走になることにして腰を落ちつけました。女中がすぐにお膳を運びました。幾つかのお皿に盛られた種々のご馳走が、女中の手で運ばれて、卓の上に美しく並べられました。それに香の高い、甘いお酒も出ました。劉大人は、これを見て、

 『やあ、これは飛んだ御迷惑で……』と云って、にこにこしながら、眼の前の卓の上に並べられる皿の数々を見廻して、いろいろお礼を言いました。嫂は御馳走が並んでしまうのを待って、

 『さあ何もありませんが一つ』と勧め、壜を手にして、『まあお一つ、私がお酌しましょう』と、盃を取らせ、なみなみとお酒を注いで、『どうぞごゆっくりご遠慮なさらずに』と云ってにっこり笑いました。劉大人はいよいよ恐縮して、盃を手にしながら、

 『嫂さんのお酌で、恐れ入ります。では遠慮なく頂戴します』と嫂に挨拶して、さも気持ちよく一口飲みました。嫂も満足して、

 『さあどうぞ、折角久し振りに入しったのに、主人が不在でほんとに残念でしたね』とこんなことを云いながら、兄に代って心からもてますのでした。

 優しい嫂の心づくしを大層有難く思った劉大人は、勧められるままに、思わず盃の数を重ねてうっとりといい機嫌になりました。並べられた皿に遠慮なく箸をつけて、下鼓を打っていました。が、その時不意にどうしたのか、

 『あつ!』と云った顔を顰めました、嫂に気づかぬようにと注意はしましたが、何事につけても敏く賢い嫂が、何でそれを見逃しましょう、この挙動を目早く見つけて、すぐ卓の上の皿をそれとなく見廻しました。ところが、いくつか並べられた皿の中に、焼卵が三つあるのが目につました。これを見た嫂も同じように、

 『あつ!』と云って苦い顔をして、急いでその皿を取り上げました。

 『まあ、どうしたと云うのでしょう、これは飛んだそそうをしてしまいましたね、ご免なさいよ』と、粗忽をしきりに詫びました。そして、このしくじりを恥じて、穴があったら入りたいとでもいったような風情でした。

 劉大人は嫂のこの様子にかえって恐縮して、

 『いや、何でもありやしませんよ、言わば私と貴女の間は、内輪も同然ですもの』と、そのまま水に流そうとしました。けれども嫂はなかなか承知しません。

 『でも貴方、こんな粗忽をしては申訳がありませんわ』と、詫びるばかりか、内輪の客とは云いながら、大切な良人の弟、その人にこんな失礼をしては、折角の心尽くしも水の泡、この儘には済まされぬと、わざとしたことかそれとも失ちか、誰の仕業か、それを確めねばならないと下女をみんな呼び寄せ、客の目の前で調べることとして、下女にみんな来いと云いつけました。

 一体台湾人の間には、昔から、妙な習慣があって、三とか五とか七とか云う奇数を大層忌み嫌うのです。殊に客を饗す時用うものは、お菓子でも、お料理の皿数でも、お皿の中の品数でもみんな奇数を嫌って、二とか四とか六とか云う偶数を用うことになっているのです。さてこそ劉大人の前に並べられた皿の中の焼卵が三つあったので、お客の劉大人はそっと苦い顔をするし、嫂は気を悩んで、しきりにお詫びを言った揚句、下女を一々調べるということになったのです。はじめ嫂が台所で盛らした時には、確かに四つあったのです。それが今見れば、どうしても三つしかありません。これは自分に何か怨恨のある者がわざとしたのか、それとも悪戯か、お客の前で赤恥を晒させようと企んだのか、または過ちに一つ失くしたか、何にしても飛んだ真似をしたもの。お客が良人の弟だから穏便にも済まされるとは云え、一家の主婦としてこんな大失態を、この儘に済ますわけにはゆかない、と嫂はこう思ったのです。こうなってくると劉大人には、また一つ厄介が多くなったわけです。けれども嫂は一生懸命ですから流石に一寸手を出し兼ねて、仕方なく、嫂のするままに任せて、傍でじっと見ていました。

 急に嫂から呼び出された下女共は、何事が起ったのかと、怪訝な思いをしながら打揃って応接間へ来ました。嫂は下女共を見て頗る不機嫌の体で、

 『さあ、こっちへお入り、みんな入るんです』と厳しく言いました。そしてみなを中に入れて、お客様、劉大人の前に列ばせました。唯ならぬ嫂の気色を見てとった下女共は、どんなお叱言が出るのかと案じておりますと、嫂はいかにも主人らしい態度で、

 『さあこれから、お前方に一つ訊かなければならぬことがあります。分家の旦那様の前で、一々正直に答えるんですよ。決して隠したり、虚偽を云ったりしてはなりません。もし隠したり、虚偽を云ったりしたことが分ったら承知しませんよ』と、一同に向って、厳かに云い渡しました。そして静かに卓の上の一皿、焼卵の三つ盛ってある皿を持ち出しました。

 『さあ、皆、これを御覧、三つしか盛ってないよ。私は確かに四つと云って置いた筈だのに、一体誰が三つにしたんです』嫂はこう云って、手近のものから一人ずつ調べはじめました。けれども、い並ぶ下女共は、互に顔を見合わせるばかりで、誰に訊ねてみてもみんな云い合わせたように、知りません、存じませんの一点張り。さあこうなると調べがなかなか難しく、容易に犯人があがりません。嫂は一層恐ろしい顔をして、声を励まし、

 『誰です、さあ正直に云わないか』と叱りつけましたが、やっぱり同じこと、みんな知りません、存じませんで、一向に調べはつきません。流石の嫂もこれには困ってしまい、いよいよ気を焦たすばかりでした。

 すると、傍で見ていた劉大人、もう黙ってもおられず、少し椅子から乗り出して、

 『嫂さん、私が一つ調べてみましょう』と云い出しました。嫂はもう困りぬいている最中、兎に角劉大人が調べれば、こんなことには馴れてもいるだろうし、女の自分などよりはいいに相違ないと思ったので、

 『まあ、貴方が調べて下さるって……』と云って、劉大人の顔を見ながら、『それがいいわ、貴方はお役人とは云え、劉大人は行懸上詮議してみようと云い出したまでで、実はどうして調べたものかと云うことさえ考えていなかったのです。さりとは余計なことを云いだしたわいと思ったものの、もうこうなっては仕方がありません、暫くはじっと考え込んだまま、思案にくれておりましたが、流石は劉大人、すぐ考えがついたものと見えて、うむそうだと一人頷きました。けれど、これもやっぱりうまくないと思ったのか、再び深い考に沈みました。すると嫂はこれを見て、

 『まあどうなすったの、何をそんなに考えてばかりいらっしゃるの。いやですわ、ねえ、貴方。貴方は立派なお役人でしょう、このくらいのこと、何でもないと思いますわ。第一このくらいの裁が出来ないで、よくお勤務が出来ますね、失礼だけど』と、意地悪く一本ちくりと針を刺しました。嫂も優しい女ながら、気が勝っているのと、婢女共の手前、殊更にこう云ったのでした。

 劉大人は暫く考えていた末、今度こそは妙案が浮かんだと見え、はたと膝を打って、

 『嫂さん、じゃ兎に角詮議してみましょう』と男らしく云って、それから婢女共に、一人一人水を入れた茶碗と空の茶碗を持って来るように言い渡しました。嫂はこれを聞いて妙なことをすると、半ば驚き半ば可笑しく、何をするかと見ておりました。その時劉大人は云いつけられた通り、二つの茶碗を持って立ち並んだ婢女共に向って、厳しい声でこう云いました。

 『今度は、私が詮議をする、だから何事も私の云う通り、従うのだ。もし従わない者があったら、それを犯人とする』

 そこで婢女共にまず茶碗の水で含嗽をさせ、その口の中の水を、空の茶碗に吐き出させました。妙な事をして詮議をするなと婢女共は内々こう思いながらも、従わないと大変ですから、云いつけられた通り、劉大人の眼の前で、まず茶碗の水で含嗽をして、その口の水を空の茶碗に吐き出しました。不思議に思ったのは婢女共ばかりではありません、嫂も変なことをして詮議をするものだと、聊か呆れた様子で、不思議そうに、この場の光景を見ておりました。

 劉大人は婢女共の吐き出した茶碗の水を、一々念入りに検べておりましたが、その中でもある一つを殊更に念を入れて検べました、そして何か見つけだしたものと見えて、我とわが胸に頷きながら、その茶碗を差出した一人の婢女の顔を見ました。するとその婢女は、はつと驚き慌てた様子で、不意に泣き崩れてしまいました。これを見た嫂はじめ他の婢女共は、この不意の出来事に驚き呆れて、思わず顔を見合わせて、いかにも怪訝そうに、その婢女の方へ視線を集めました。劉大人は茶碗の水と云い、婢女のようすと云い、正しくこの婢女の所業に相違ないと思いましたので、泣き入る婢女に向って、

 『おい、お前だろう、正直に云うがいい』と、いいました。そして今度は、思いかけぬこの場の有様に驚いている嫂に『嫂さん判りましたよ、そこでご覧なさい。今含嗽をさせて吐かしたこの水の中に、これこの通り、焼卵の滓の粒が浮いているでしょう。悪戯か故意とか、兎に角あの婢女が喰べたのでしょう、それで判ったのです。だが嫂さん、これは私がお願いするんですが、この女は何も悪気でしたのではありますまい、穏便に済まして下さい。つまり、それと判ったなら、後来を戒めて別に罰しないことにしたいのです』と、自分で裁いただけに、何とか穏便に取り計らうことにしたいと云いだしました。で、嫂もそれを承知して、

 『お前かい、正直に云うが可いよ』と、劉大人の手前優しく訊ねました。婢女は劉大人の情け深い言葉を大そう有難がり、正直に自状しました。

 その申し条はこうでした。最初碗の中には焼卵が四つ、それは嫂のいい付けた通りあったのですが、その時この婢女が不図それを見ると、いかにも美味しそうなので、ちょっと喰べてみたくなりました。幸い付近にいたほかの婢女共は忙しいので、こっちへ気をつけている者もありません。そこで婢女はそっと一つだけ無断で頂戴して喰べてしまったのです。自分では首尾よく喰べてしまったので、これで可いと思っていたところ、歯の間にその余分が滓のような小さな形で残っていたものですから、含嗽して吐き出した水の中に交っていたために、たうとう暴れてしまった始末、こうなっては今更隠しもなりません。

 『奥さまどうも相済みません、つい妾が意地汚い、焼卵がいかにも甘そうだったものでございますから、ついちょっと……』と云って、消え入りたいほど恥しく、後の言葉を濁してお詫びを言いました。

 『ほんの出来心で、飛んだことをいたしました、どうぞ御勘弁を下さいまし』

 ほんの出来心でやったことだし、劉大人からの相談もあって、穏便に取扱うことを承知しているので、嫂も強くも叱られず、

 『まあ、そうかい、困るじゃないの。今度のことは、分家の旦那様も仰有る通り、云わば内輪のことだしするから、勘弁もしましょうが、これからこんな真似をしてはなりませんよ。さあ分家の旦那様に、よくお詫びするんですよ』と嫂自身も婢女に代って劉大人に侘びをしました。そして、

 『まあ本当に、うまく思いつきでしたね、含嗽をさせて吐かした水で調べるなんて、私、つくづく感心いたしましたわ』と、劉大人の頓智のいいのをいろいろ褒めちぎりました。

 ふと浮んだ考案が、うまく的中して、まんまと調べが出来たので、劉大人もさすがに気持がよく、微笑みながら、嫂のお詫びを快く受けて、今日の出来事は気にかけず、そのままさらりと水に流してしまいました。こうして婢女の罪も許したので、一旦面倒になりかけた焼卵の問題も、何の苦もなく解決出来て、再び賑かな、睦まじい饗応の場面となりました。そして劉大人は、兄こそ帰って来ないので面会出来ませんでしたが、それでも、嫂の心尽の歓待にすっかり満足して帰って行きました。

 こうして事件があった後、何分内輪のこととてその場限りにしてあったのですが、さて人の口には戸が立てられぬと云うたとえの通り、誰の口から洩らされたものか、何時とはなしにこの劉大人の裁きが噺に上り、今は誰も劉大人の頓智に感心して褒めぬ者がないくらい、評判が高くなりました。流石は劉大人だと、それからは益々みんなからの評判がよく、人々から尊敬されることになりました。劉大人の焼卵の裁判のお話は、これで終りといたします。

2007年11月15日木曜日

虎を欺いた猫の話

昔々ある山の中に、虎と猫とが棲んでいました。虎と猫とは形や姿がよく似ているので、 『お前と私は、こうお互いに形や姿が似ているから親類なんだよ』と云っては、平常からどっちからも往来して仲良くしていました。ある日のこと、虎が猫の家へ訪ねて来て、にこにこしながら言いました。

 『おい猫さん、どうしたと云うんだろう、この頃は山を歩いても、村へ出かけてみても、さっぱりいい獲物にありつかないんだよ。すっかり困ってしまったよ。どうだね、お前さん何処か好い獲物のありそうな所を知っているなら、親類じゃないか、一つ教えてくれないか』余程困っていると見えて、いつもの元気は何処へやら消え失せて、虎は弱音を吐きました。ところがその頃猫も同様好い獲物がなくて困っているところなので、

 『そうだね、実は私も困っているところなのさ、教えるところか、こっちで教えて貰いたいくらいだよ』と、さも困ったというような顔をしました。

 虎はそう聞くと一寸気を廻して、猫の奴わざと隠しているんじゃないかと思いました。

 『そうかね、そいつあ困ったな、お互いにこんなじゃ次第に疲せるばかりだ』と云って猫の様子をじろじろ見ながら、

 『時に猫さん、お前さんはよく麓の村に行くじゃないか』とかまをかけました。猫はそんなこととは知らず、

 『うむ先頃二三度行ってみたが、どの村も同じで、獲物なんかちっともありやしないよ』と、気のない返事をしました。これを聞くと、虎は小々機嫌を損じたらしい、

 『そうか、それや困るな、だが町はどうだい、私は滅多に町へ行かないか。お前さんは時々行くだろう。

 町なら一つや二つはありそうなもんじゃないか』と、今度は町の様子を訊きました。猫は町と聞いて、なお更ら厭な顔をして、

 『町かね、町はなお駄目だよ』と一向浮かばない返事をしました。そこで虎は余計気を悪くし、

 『なに町は駄目だって、はは冗談云つちやいけないよ。町に行きや家鴨や鶏がいるだろう』と突っ込んで訊ねました。猫は虎が機嫌を損じたと知って、

 『それや村だって町だって人間がいるんだから、家鴨も鶏もいるさ。だけど家鴨や鶏は町より村の方が沢山飼ってるんだから、もし欲しきや村へ行くさ。けども、あんなちっぽけなものでいいのかい、小さいのは面倒じゃないか』と云いました。虎はいよいよ機嫌を悪くして、

 『じゃあ大きな奴がいるかい』と問い返しました。猫は笑いながら、

 『豚ならいるさ、それじゃそうだね』と云いました。そして体が大きいから豚だって我慢すると云う虎の弱音を気の毒に思いました。けれども虎はすっかりへこたれている時なので、

 『うむ、豚も結構だ。けれど一層のこと人間にしようかな』と、とうとう恐ろしいことを言いだしました。

 弱音を吐いた虎が、人間にしようかなどと云うのを聞いた猫は吃驚して、これは飛んだことになってしまったぞと思いました。

 『なに人間にするって、恐ろしいことをいうじゃないか、私はもうお前さんと一緒にいるのは御免だ』

 今度は虎が猫の弱音を笑いました。

 『ははあ、弱い音を吐くじゃないか、そんなに人間が恐ろしいかね』と云って『いいじゃないか、一緒に行こう』と誘いました。けれども猫は尻込みして、

 『厭だよ、お前さんは強いからいいけれど、私はこんなに弱いんだもの、一緒に行きや、私の方が剣呑だからね』と、どうしても一緒に行こうと云いません。

 『ははあ、何を云うんだい、いいから行こうよ、構わないじゃないか。仕事は私がするから、お前さんは案内だけしてくれなよ』

 こう言われてとうとう猫も仕方なしに、虎と一緒に村をさして出かけることにしました。

 さて虎と猫とは早速打ち連れ立って、麓の村へ出かけ、ここかしこと村中捜し廻りましたが、生憎といい獲物が見つかりません。二匹は仕方なしに、残念ながら不運とあきらめて、山へ帰りかけました。するとある百姓家の裏で一頭の大きな豚が、竹薮の蔭をのそのそ歩いているのを見つけました。猫はすぐさま虎を呼び止めて、

 『おい、豚がいるよ、豚でもいいかね』と云いました。虎は獲物がないのに気を腐らしているところなので、

 『うむ、豚でも結構』と云いながら猫の側へ来て、『おい、どこにいるんだい』と訊ねました。猫は竹薮の蔭を指して、

 『そら、あそこにいるだろう』と云うので、虎がその指された方を見ると、なるほど大きな豚がおります。

 『うむ、いた、いた、しかも大きな奴だ。これや有難い、よし、私が一つやつつけてやろう』と、乗気になって豚を襲いかかりました。

 豚は恐ろしい虎が今にも飛びかかろうと、身を潜ませて近づいたのも知らず、うろうろ飼をあさって歩きながら、いつの間にか虎の側まで来てしまいました。虎はこの時とばかり見構して、

 『うおう』と一声高く唸りました。豚はこの唸声を聞くと、さては恐ろしい虎の声と吃驚仰天、見るともう眼の前に物凄い虎が、自分を狙って今にも飛びかからうとしているのです。慄へ上って、一生懸命逃げようとしましたが、もう足が竦んでしまって逃げることもできません。悲しそうに、

『ういうい』となきながらぶるぶる慄へているばかりです。虎はすぐさまそれに飛びかかって、見る間に大きな豚を咬み殺してしまいました。そしてうまくいつたわいと勢込んで四辺を見廻し、

 『おい猫さん、どこにいるんだ、早く来ないか、うまくいったよ』と、猫を呼びました。竹薮の隅に隠れて様子を見ていた猫は、虎からこう呼ばれるので、のこのこと出て来ました。そしてさも感心したように、

 『いやどうも豪勢なものだね、私は今まで竹薮の所で、お前さんの働きを見ていたが、余りの恐ろしさに慄へ上ってしまったよ』と褒めました。虎はちょっと得意になってにこにこしながら、

 『そうか、だが慄へるとはあまり弱いじゃないか。そんな弱いことを云つちや、私の恥になるよ、お前さんと私は親類じゃないか』と云ってからからと笑いました。そして『まあ、そんな事はどうでもいい、兎に角久方振で獲物にありついたんだ、早速喰おうじゃないか、遠慮しないがいい』と、虎はすぐさま獲物の豚を喰べ始めました。そこで猫も、

 『いやこれは御馳走さま、遠慮なしに頂くとしよう、お互いに親類だからね』と、お世辞を云いました。虎と猫とは甘そうに豚を喰べて、切りに舌鼓を打っていました。

 幾ら大きな豚でもたった一匹では虎だけで喰べても充分ではありません。その上猫まで喰べたのですから、すぐに喰い尽してしまいました。けれども猫はまだ地面に流れている血をさも甘そうに舐め廻っておりました。これを見ると虎が不思議そうな顔をして、

 『そうか、そんなに甘いかい、私も一つ舐めてみたいな。だがうどして舐めるのか舐め方が分らない。おいちよつと教えてくれないか』と云いました。

 狡猾な猫は虎が唸って敵に勝つことを知ったので、唸り方を覚えて一つ敵を負かしてやろうと考えていたところへ、うまくとり換えってこするものが出来たので、虎が教えろと云ったのを幸に、

 『うん教えてやろうが、私にも一つ註文があるな』と云って、唸り方を教えてくれと頼みました。虎はこれを聞くと、

 『ははあ、何の註文かと思ったら、何だ唸り方かい。うむ、それや教えもしよう、だが、それより舐め方を先に頼もう。さうしないとお前さん欺ますかも知れないからな』

 猫はわざとらしく笑って、

 『それや此方で云うことさ、お前さんは強い獣だもの、舐め方を教えてしまった後で約束を破られたって、私にやどうすることも出来ないじゃないか。だから、私が先に教わるとしようよ』と、うまく虎を欺ましてしまいました。

 虎は欺まされるとも知らず唸り方を教えてやりました。

 猫はそれを一度にすぐ覚えてしまって、まずこれでよしと一人で心にうなずき、

 『いや大きに有難う。よく分ったよ、もう大丈夫、いつでも唸れる』と礼を云って、虎が今度は自分の番だと待っているのも構わず、

 『ではぼつぼつ帰るとしようか』と云って挨拶をしてずんずん帰りかけました。そこで、

 虎はそれじゃ約束が違うと驚いて、

 『おいおい、今度は私の番だよ。舐め方を教えてくれないか』と云いました。すると猫は今更気づいたという様子で、

 『ああそうそう』と云いながら、ちょっと空の方を眺めて、『だが、今日はもう遅いから駄目だよ。もうすぐ夜になるから明日にしようよ。夜我家へ帰ってると途中が物騒だからね』と、まことしやかに云って、夜になるのをさも怖がっているような風をしました。虎は欺まされるなどとは知りません、猫からこう云われて、四辺の光景を見ると、なるほどもういつの間にか夕方なので、それでは明日にしようと思って、

 『じゃ今日は仕方がない、明日にしよう、明日はきっと教えてくれるんだぜ。いいか、頼んだよ、確かに約束したよ』と、その日は豚肉の御馳走にありつけたのを喜んで、猫と連れだって山へ帰って行きました。

 さて翌日になると、虎は早速猫の家へ訪ねて行きました。

 『おい猫さん、約束だよ。さあ今日は教えて貰おう』

 けれども猫は、もともと欺まして唸り方を教わらうと考えていたのですから、約束はしたものの、なかなかおいそれと教えようとはしません。

 『ああ困ったな、実は虎さん。昨日お前さんの御馳走で豚を喰い過ぎたと見えて、今日はどうも腹の工合が悪いんだよ。折角だが明日に延ばしてくれないか、明日はきっと教えるから』と、さもまことしやかに口から出任せの口実をつけて、気の毒そうに謝絶を云いました。虎はそれでも教えろとも云わないので、

 『そうか、それやいけないな。腹の工合が悪くつちや仕方がない、じゃまた明日来るとしよう』と、渋々立ち上りかけました。

 『うむ、ほんとに足を運ばせて気の毒したね』猫はかう云いながら、虎を見送りました。その後では、長い舌をぺろりと出して、うまく欺ましてやつたわいと、さも気味よさそうに、にやりと笑いました。

 かくとも覚らぬ虎は、その翌日になると、またしても猫の家へやって来ました。

 『さあ、今日こそ是が非でも教えて貰うぜ』と、立腹の体で居催促しました。かう幾度も催促に来られてはいささか蒼蝿いな、と猫はかう思ったものの、相手は何しろ恐ろしい猛獣のこと、迂闊に口をきけばそれこそ生命が危ないので、何とかうまく遁げる工夫はあるまいかと、いろいろ考えてみましたが、頓と思い当りません。その上虎はますますやかましく言って催促するので、今はもう絶体絶命、

 『ああ、面倒臭い、何だ唸り方一つ教えたと云って、そうやかましく催促するにや当らないじゃないか。なに約束だと、ははあ、約束は約束さ、だが私の方にも都合があるからね、今日は何と言っても駄目だよ』と、素気なく断ってしまいました。さあ、虎は怒るまいことか、

 『この畜生、よくも約束を破ったな、覚えていろ。もう用捨はない、咬み殺してくれるぞ』と物凄い勢で猫を目がけて飛びかかりました。その時猫はひらりと身をかわし、側にあった樹の上へ、するすると攀ってしまいました。そして、

 『ああ驚いた、危ない危ない』と云いながら枝の上へ腰をおろして、

 『乱暴するしゃないよ。危くって堪らない』と、樹の根元に身構えて、猫を睨んで怒りぬいている虎に向って、

 『おい虎さん、怒ったね、口惜しいかい。口惜しきやここまで来るさ、どうだい来られるかな』と、横着にも虎を嘲笑いました。これを聞いた虎は己れ憎い猫奴と、今にも飛びかかろうとしました。けれども虎には樹攀りは出来ません、口惜しいが仕方がないので、地団駄踏んで怒ってみるばかりです。

 『おのれ猫奴、よくもこのおれを誑したな。よし、もう、この上は貴様が下りて来るまで、いつまででもここで待っているぞ』と呶鳴りつけました。すると、枝の上の猫は、

 『あはは』と笑って、『いや御苦労、いつまででも其処にいるさ、私はこれからちょっと餌を捜しに出かけるとしよう』と云って、ぴょいとほかの樹の枝に飛び移りました。これを見た虎はいよいよ怒ってその後を追いかけました。

 『おのれ何処へ行く、逃がすものか』

 『何処へ行かうと大きなお世話だ、まあお前さんはそこで番をしているさ』猫は笑いながら云って、樹から樹を伝って、ずんずん逃げて行きました。虎は口惜しくて堪らないので、負けずに後を追いかけましたが、たうとう姿を見失ってしまいました。虎はたいそう残念がって、

 『よし、もうこの山は、山じゅう歩き廻って、見つけ次第に咬み殺してやる』とその日からというもの、毎日毎日歩き廻って、猫を捜しておりました。これを聞いた猫は、こいつ山にいては生命が危ないと、虎に知られないように、こっそり麓の村へ逃げ込んでしまいました。

 さて、村に逃げ込んだ猫は、ある人家へやって来て、神妙な猫撫声で、さも本当らしく、自分の悪いことはすっかり隠して、虚言八百を並べたて、親戚の虎に苛められ咬み殺される所を逃げて来ましたからと、悲しそうに救助を求めました。ところが、その家の主人というのが大層慈悲深い人だったので、猫の云うことをすっかりまに受けてしまいました。その上ふだんから虎をひどく憎んでいましたので、早速その猫を自分の家で飼うことにしました。そして大切にして可愛がってくれるので、猫もこれですっかり安心しました。ところがある日のこと、主人は猫を呼んでこんなことを言いだしました。

 『おいおい、私はお前の身の上話を聞いて、そいつは気の毒だと思ったから、今日までこうして飼って置いたんだが、お前のようにそう毎日毎日遊んでいるんじゃ、もうこの上飼っておくわけにいかないよ。だから何処かぶらぶらしていても飼ってくれるような家へ行ってくれ。私は怠けるのが大嫌いなんだから』

 だしぬけにかう追い立てを喰った猫は、面喰ってしまいました。そして今まで怠けてばかりいたのを今更のように後悔して、

 『ではこれからはきっと働きますから、どうぞ飼って置いて下さい』と頼みました。そして種々と考えた末、この家には前から鼠が沢山いて恐ろしく乱暴するので、主人はじめ家の人がみんな閉口しているのを思い出して、一つ鼠退治をしてやろうと考えつきました。で、早速そのことを主人に申出ました。これを聞いた主人は大層喜びました。そこで、猫もたうとう改心して、それからというもの一生懸命鼠退治のためにつくし、鼠を一匹残らず追っ払ってしまいました。主人も家の人も大喜び、それからはお前にもまして可愛がってくれますので、猫もすっかり心を入れかえて、主人大事とよく働き、虚言も云わず、良い獣になりました。けれど虎はまだなかなか悪いことをしますし、いつまでも猫を敵とつけ狙っているので、滅多に外へも出られませんでした。そして糞をしにたまたま外へ出た時でも、虎に所在を知られぬために、きっと後脚でその糞に土をかけて埋めることにして、決してそれを忘れませんでした。今でも猫が外で糞をした後で、後脚で糞に土をかけるのは、この先祖の習慣が、子孫に伝わったのだそうです。

2007年10月15日月曜日

十二支の由来と鼠

 ある村に張永福と林清福と云う、二人の仲の好い若者がありました。二人とも感心な男で、自分達の稼業に精出して働くのは勿論、他人にもいろいろと親切を尽してやるので、村の衆は誰一人として褒めない者はありませんでした。そして悪いことをしたり、怠けたりする者を叱る時にはいつでも、お前達もあの張さんや林さんを見習いがいいと、よく引合うに出されるのでした。

 その上この二人の仲は、まったく他人も羨むほどの睦まじさで、お互いに助け合い、嬉しい時は共に喜び、悲しい時に共に嘆くと云った具合で、喜怒哀楽を共にしていましたので、友達とは言いながら、まるで兄弟のように親しく、暇さへあれば、毎日毎日両方から訪ねて来たり、訪ねて行ったりしていました。

 丁度雨の降るある日のことでした。張さんは雨の中を濡れるのも嫌わず、林さんを訪ねて行きました。そして二人は例の通り楽しく四方山の話を続けていましたが、林さんは何を思い出したものか、

 『おい張さん、一体君は何の年だね』と訊ねました。張さんは一寸面喰らって、

 『何? 私の年か』と云って、突然に妙なことを訊くなと、怪訝な顔つきをしたので、林さんはそれがまた可笑しく、

 『ははア、何をそんなに面喰らいのさ、ただ君は何の年に生まれたと訊いただけだよ。それ子だとか、丑だとか云いあれさ』と云うと、張さんも漸く訊かれた意味を合点して、

 『ああそれか、私の年かね、辰、辰の年さ』と答えて、『林さん君は?』と、直ぐ訊ね返しました。林さんは訪ねられて、にっこりしながら、

 『ああ私かい、私の年はね、午さ、午の年だから、辰巳午と云って、張さん、君より私は二つ下で、弟になるんだね』と云って、二人は大笑をしました。それからまた林さんは、

 『君のお父さんは』と訊ねました。すると、張さんは暫く考えて、

 『寅だ、寅の年だ』と答えました。これを聞くと林さんは、これは不思議なと云ったように、

 『おや、私の祖父さんと同じだね、私の祖父さんは面白いのだよ、寅の歳の寅の日の、而も寅の刻に生まれたんだとさ。それでかう寅が三つ揃ったから、号を三寅とつけたんだが、可笑しいと云うので、後に三虎と改めたと云うことだ』と、祖父さんの号の由来まで話して、二人は十二支のことに話を進めたのです。

 ところで、張さんが十二支の中で、子と卯と辰と巳と、それから亥とは、どんな動物に宛嵌めるのか知らないと云いました。そこで、林さんは、さうか、じゃ教えようと云いような顔をつきおして、

 『君知らないのか、じゃ教えてやろう。いいかい、子は鼠さ、それから卯は兎で、辰は龍、巳が蛇で、亥が豚なのさ』と云って教えました。張さんはすっかり感心して、

 『成程ね、いや有難う、子が鼠で卯が兎か、それから辰が龍で巳が蛇か、そうだったね』と云って、暫く何か考えていましたが、

 『そうそう亥が豚だと云ったね、これやうまい、而も豚が十二支の殿は可かったな、全くその通り、豚はあの通り、ぶうぶう云ってぐうたらだからなア』と云いました。

 『それにもう一つ、うまいと思うのは子の鼠さ。あの小さいな、すばしこくて狡猾な鼠を、いの一番にしたなぞは面白いと思いね』と、すっかり張さんは感心してしまいました。

 これを見た林さん、またこれが可笑しくて堪らず、

 『ひどく感心したもんだね、だが、実は亥は豚でなくって猪なのさ。だが猪より豚の方がいいから豚にしたんだよと』云いました。林さんは張さんが余り感心したので、一寸冗談をやってみたくて、わざと猪を豚にしたのでした。ところで、それがまたすっかり張さんの気に入って、

 『うむ、その通り、猪より豚の方がいい』と感心して、

 『君、十二支なんて一体誰が決めたんだろうね、林さん誰だと思う!』と云って、その由来を訊きました。すると林さんは、そのことならと云ったような顔をして、

 『うむ、その由来なら、私が祖父さんから聴いた話があるのさ、一つ話して聞かそうかね』と、林さんは祖父さんから聴いた十二支の由来話をしました。その話はそうです。

 昔、ある山の奥に、一人の仙人が住んでいました。何に感じたものか、ある時のこと十二の動物を選んで十二支を作り、その十二支の動物に人間が大切に思っている年を一年ずつ受持たし、その年中は人間を支配させることにして、その功労には幸福を授けてやろう、という妙なことを考えつきました。そして早速世界中の動物どもに、

 『今度動物の中から十二だけ選んで十二支を作り、一年ずつ人間を支配させ、その功労には幸福を授けてやるから、十二支中に加えて欲しいものは何月何日此処へ集まれ、但し数を十二としたので、沢山来れば仕方がない、先着順で定めるから、そのつもりで当日は早く来るがいい』と、それぞれ通知を出しました。

 これを聞いた動物は大喜び、我こそは十二支の中に入り、人間を支配して幸福を授けて貰う。こんな結構なことはありやしない。第一人間を支配すれば威張られると云うので、どの動物もその日の来るのを待っていました。

 さていよいよその日が到来しました。待ち構えていた動物どもは我こそ一番とばかりに、何れも仙人のいる所をさして出かけました。あの体の大きな、のそのそと歩く牛も、今日こそ一番に行って、普段鈍い鈍いと馬鹿にする人間やほかの動物どもを驚かしてやろうと、夜もまだ開けきらぬうちに、小屋からのそのそと大きな体を運び出し、大急ぎで、仙人の所に出かけました。ところで、これも仙人の通知を受取って、十二支の中に入りたいと思っていた一疋の鼠が、その牛小屋の屋根裏に隠れて棲んでいましたが、牛がのそのそと小屋を出て行くのを見ると、小さいがなかなか悧巧ですばしっこい奴ですから、これはうまいと喜んで、牛の頭にこっそり飛び下り、角の下にしがみつきました。これで大丈夫、かくして行けば、俺がいの一番まつ先に着くにきまっている、いや有難い、第一歩かないで済むからなア。狡猾な獣です、ほかの獣の力で、うまく功名しようと、一人で嬉しがりながら、牛に知れないように鼠鳴きまして舌をぺろりと出しました。

 牛はこんな奴が、自分の頭に乗っていようとは、夢にも知らず、今日こそはいの一番にと、側目も触れず一心不乱に、急ぎに急いで行きました。ところでその途中、川がありましたので、牛はぢゃぼぢゃぼと渉り、それから山を越さなければならないので、牛はもう一奮発と精出して登りかけました。その時、頭にいた鼠は、もうこの山一つと知ったので、牛に知れないように、ひらりと軽く飛び下がり、一目散に山を駈け登り、とうとういの一番に仙人の所に到着しました。牛はそれを少しも知りませんでした。

 仙人の所に着いた鼠は、ほかに動物の姿が見えないのに安心しました。早速仙人の前に来て叮嚀に叩頭をして、

 『お早う御座います、私は鼠でございます。どうか十二支の中にお入れ下さい』と、挨拶やら願いやらを述べました。仙人はまだほかの動物が一つも来ない間に鼠が来たので大満足、莞爾しながら、

 『おお鼠が、お早う、まだ誰も来ないよ、お前が一番だ、第一位にしてやろう』と云いました。仙人は鼠が狡猾な真似をしたことなど少しも知らないので、とうとう鼠を十二支中の第一位に据えました。鼠は大得意で小さな鼻を蠢かして、仙人の側に控えています。こんなこととは知らぬ牛は、大きな体を急いで運ばせ、可哀そうに川を渉り、山を越えて、苦しみ喘ぎながら、漸く仙人の所へやって来ました。

 『やれやれやつと来たぞ、まだ誰も来てはおるまい、俺がいの一番だ』と、一人で嬉しがりながら、仙人の側に来て、

 『いや、お早うございます。私は牛でございます』と挨拶しました。そしてひょいと仙人の側を見ると、吃驚しました。と云うのは、何時の間に来たのか、小屋の屋根裏に潜み棲んでいる鼠の奴が、もう自分より先に来て、ちゃんと控えていたからです。

 牛はすっかり落胆して、悲しそうに眼をぱちぱちさせていると、仙人がその様子を見て言いました。

 『牛さんか、早かったな、けれどお気の毒だが、鼠の方が先に着いたから、お前さんは第二位だ。鼠の次に据えてやろう、まぁ休むがいい。まだ他のものは来ないんだから……』これで牛は残念ながら十二支の第二位に置かれたのでした。牛は仕方なく、口惜しそうに睨みながら、草原の方へ行って休みました。

 口惜しがりながら草原の方へ行った牛を、仙人の側から見送っていた鼠は、やがて牛の側へやって来ました。そして、

 『やあ、牛さん、お気の毒だね』と、さも馬鹿にしたような調子で云いました。牛は落胆のあまり悲しそうな眼つきをして、

 『うむ、残念だったよ、けど私はお前が先に来ていようとは思はなんだ。一体お前はどうして先に来たんだね』と訊ねました。そこで鼠はさも自慢そうに、実はこれこれと、脱けがけの功名をして、

 『どうだい、私はすばやいだろう、何しろ体は小さくても智恵があるからね』と、憎まれ口をきいて、ざまぁ見ろと云わぬばかりに、牛を尻目にかけて、仙人の側に帰って行きました。鼠の話で一杯喰わされたと知って、牛は大層怒りました。そして、抗議を申立てようと仙人の所へやって来て、鼠の不正なやり口を訴えました。けれども仙人からもう鼠を第一位と定めたばかりか、鼠に出し抜かれたのはお前の愚鈍いからの失態だと云われて、不平だらだら引き退りました。その時もうそこには、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬と云う順で、最後に猪の代りに豚が来たので、十二の数はすっかり揃いました。仙人は大満足、そこで約束通り、それぞれ年を受持たせ、子の鼠を第一位に、牛から虎という順に定めたので、今も人が使っている子丑寅の十二支が出来たのです。

 十二支の由来を感心して聴いている張さんは、

 『成程面白い由来話があるんだね。ところが林さん、私は一つ不思議に思っていることがあるんさ。それは猫のことだがね、どうして猫は十二支の中に入れてないんだろう。あんなに有り触れた動物だのに、どうも可笑しいじゃないか』と、猫の除外問題を質問しました。林さんは、

 『ああ、それかい、それに就いては、私はお祖父さんから聴いた話も一つあるんだよ。じゃ序に話しことにしよう』と云って、猫が十二支に入れられなかったわけを話しました。

 猫も仙人から集まれと云う通知を受けたのです。そしてどうしたつていの一番は自分のものだと、ほかの動物と同様にその日の来るのを待ち侘びていたのですが、どうしたものか、その日の前になって、その日を忘れてしまって、明日だったのか明後日だったのか分らなくなりました。そこで、つい近所に棲んでいる鼠に訊ねてみようと、わざわざ鼠の所へ出かけてその日取りを訊いてみました。ところが鼠は平素から猫の恐ろしい容貌が大嫌いで、あんなものを十二支の仲間に入れては迷惑と思ったので、猫から日取りを訊かれたのを幸に、さも真実らしく明後日だと、虚言を教えました。欺まされたとも知らない猫は、その日はお礼を云って帰り、鼠の教えたのを信用して、集まりの済んだ翌日、朝早く仙人の所へ出かけました。

 猫は仙人の所へ来て見ると、急いできた効があって、他の動物の姿一つ見えません、「やれ有難い、まだ誰も来ていない、私がいの一番だ、占めたぞ」と、一人心の中に喜びながら、仙人の前へでました。

 『お早うございます、猫が参りました』と云うと、仙人は不審そうに、

 『おう、猫さんじゃないか、こんなに早く何か用事でも出来たのかね』と云って、汗を拭きながらはぁはぁ言っている猫の顔を覗きこみました。猫はこの挨拶にこれは不思議と、俯に落ちかねる面持ちで、

 『あの今日は十二支の……』と云いかけると、仙人は皆まで聴かず、

 『うむあれかい、もう定めたよ、昨日……』と悲しそうに云いました。仙人も猫も驚きようがありまひどいので不審に思い、少々気の毒になって、

 『ああ、お前は日を間違えたね』と云って猫を宥めてやりました。猫はがっかりして、

 『そうでございますが、それじゃ鼠の奴に欺まされたんです、口惜しい』と云って、鼠が今日だと教えてくれたことを話して、一杯喰わされたのだと残念がりました。

 仙人は猫が口惜しがるのを気の毒に思って、仕切りに宥め、牛も鼠に一杯喰わされて、第二位になった話をしてやりました。すると猫は、それを聞いて、自分ばかりか牛までも一杯喰わした鼠の狡猾を怒り、あの円い眼を一層大きく円くして、

 『ああ牛もですか、糞!ひどい奴だ、よし、もう勘弁出来ないぞ』と大層憤慨しました。そして、この恨怨を晴らさずに置くものかと、かんかんに怒って、その儘帰って行きました。こんな工合で可哀そうに猫は、鼠に騙されたばかりに、楽しんで待った効もなく、とうとう十二支の中に入ることが出来ないで、除けものにされてしまいました。

 で、棲家に帰るとすぐさま仲間の者を呼び集め、鼠の悪事の一部始終を話して、

 『私は口惜しい、腹が立って溜まらない。これからみんなで鼠の所へ押かけて行って、敵討をしようと思うのだ』と恐ろしい勢で仲間に訴えました。そこで仲間の者は誰もかれも自分の事のように憤慨して、早速賛成しました。そして勢い込んで鼠の棲家へ押かけました。さあ出かけると言う時に猫は一同に向って言いました。

 『いいかな、しっかり頼んだぜ。それから憎らしいのは鼠だ、私達の仇だから思う存分遣つつけてくれ、殺したって喰ったってかまやしない。うんととっちめてやってくれ』そして自分が先頭に立って押かけました。さあ猫が恐ろしい勢で押寄せて来たので、鼠は吃驚して逃げようとしましたが、悪の報い、とうとう喰い殺されてしまいました。けれども猫の恨はこればかりではまだ解けません。首尾よく仇討がすむと、猫どもはまた相談して、

 『あんな狡猾な奴を生かして置くとどんな悪いことをするか分らないから、これからは見つけ次第容赦なく、鼠という鼠はみんな引き捉え、噛み殺して骨も殺さず喰ってやろう』と云うことに決めました。この相談は猫どもの子から孫へと伝えられているので、今でも鼠を見れば目の敵にして引き捉え、噛み殺して骨まで喰ってしまうのです。

 林さんは十二支の由来から猫の話を続けて、

 『どうだね、面白いだろう、猫と鼠の話なぞも珍しいじゃないか』と云って、にっこりしながら、冷たくなった烏龍茶を甘ように喫みましたとさ。