2008年1月15日火曜日

愚息子陳大愚の話

 昔、ある処に陳善木と云う男がありました。妻と一人の息子と親子三人、睦まじく暮しておりましたが、その家は至って貧乏なので、善木は苦力に、妻は洗濯女に、何れも日傭稼として傭われ、僅ばかりの賃金を貰って、やっとその日その日の飢餓を凌いでおる有様でした。その家なども実に酷いもので、壁は落ち、屋根は破れて見る影もない頽屋、家と云うのは名ばかり、豚小屋も同然でした。だが、まだそればかりではありません、貧乏人の悲しさ、親子三人服衣と云えば、年中一枚で押し通し、もう長い間新しくこさえたことなどありません、まるで、荒布をぶらさげたような古物を着ている始末なのです。食べ物だってお米のご飯なんか口にしたこともなく、毎日藷粥ばかり啜っているのでした。他人が見たら、人間というものはこんなにしてまでも、活きていたいのかと思われるほど、それはそれは気の毒な可哀そうな身の上でした。

 けれど陳夫婦は、揃いも揃った律義者ですから、自分達がこんな境遇でいるのもみんな運命、何も他人を羨むことはない、親子三人が健強でその日その日を暮してゆければ何より結構と、不平がましいことなど少しも云わず、その日その日の家業に精を出して、働いていたので、人々の評判も好く、貧しいながらも気楽に暮しておりました。ところが、ここに陳夫婦のたった一つの苦労の種と云うのは、一人息子のことで、もう今年二十三四にもなるのに、これがまた大の愚者、立派な身体をしていて、力もあれば元気もありながら、どうも智慧が足りないので、親の手助は愚、どんな仕事も出来ず、何の役にもたたないので、何処の家でも傭ってくれ手がありません。で、毎日毎日唯ぶらぶらと遊び廻っているという、本当の親の脛噛りでした。それですから近所の者からは、やれ陳の馬鹿息子とか、陳の大間抜、大馬鹿野郎など呼ばれていました。こんな工合ですから誰一人この息子の本名を云う者とてはなく、陳大愚陳大愚とばかり呼んでいましたので、この名の方がよく知れ渡ってしまいました。

 ところが、不具や愚劣な子ほど、ひとしほ可愛いのが親の情と、よく世間で云う通り、大愚と呼ばれるほどの馬鹿息子が、陳夫婦にはまたとなく可愛いのでした。人前でこそ、わが子の愚劣に愛想を尽かしたようなことを言って愚痴さえ洩らすものの、わが子に対してはこの愚劣な生れつきが可哀そうで可哀そうでたまらず、それが次第に募って可愛くさえなるのでした。けれどもこの大愚こそいよいよ馬鹿者なのでしょう、親の心子知らずで、可愛がられるのを好いことにして、愚劣な事ばかりしては、人に笑われ人間並に扱われないことなど一向平気で、のらりくらりと遊び廻っておりました。

 丁度ある年の夏の初め頃のこと、陳の妻君は賃仕事をして幾許かの賃金を貰いました。で、母親は優しい親心から、久しい間新しい着物一枚着せなかった大愚に、この賃金を貰ったのを幸に、夏の着物を一枚造ってやろうと思って、その日仕事の帰りがけに呉服屋へ寄って、粗末ながら、白い服地を買って帰りました。そして、

 『さあ、これでお前の夏服を造ってあげるよ』と云って大愚に買って来た服地を出して見せました。いくら馬鹿息子でも、これを見ると流石に嬉しかったと見えて、にこにこしながら言いました。

 『ああ、私の夏服を造るのだって、うまいな。新しい上等の着物が着られる、嬉しいな、有難い』そして服地を見返しては喜んで、『いつ拵えるの、早く拵えておくれよ、わしはそいつを着て、みんなに見せてやるんだから。さあ、今すぐ拵えておくれよ……』と、暢気なことを云いました、妻はもう二十三四歳になった男が、八歳か九歳の児童のように、ただ訳もなく嬉しがるのを見ていると、嬉しいやら情けないやらで、思わず袖で涙を拭きました。

 大愚は母から新しい夏服を着せて貰えるという事が嬉しくて堪らず、早くしてくれ早くしてくれと頻りにせがむのですが、貧乏人のことですから、実はまだ針も糸も揃っていない始末なのです。で、ただ一図に早く早くと強請むわが子を宥めて、

 『まあまあお待ち、服地は買ったけれど、これを仕立てるには糸と針とがないと拵えられないんだから。明日針と糸を買って来るから、そうしたら直ぐ拵えてあげるよ、明日ね』と云って聴かせました。けれどそえをそのまま『はい』と承知するような大愚ではありません、それでもまだ早く拵えろと云うので、母もこれにはほとほと困ってしまいました。そして種々と云いきかせてやっと宥め、明日はきっと拵えて遣ると、堅い約束をして不承知不承知に承知させて、その夜は親子三人いつものように、静かに安らかに床に就きました。

 さて翌朝になると、平素は午刻過ぎまでも寝る朝寝坊の大愚が、如何したものか、両親の起きない前に、むくむくと寝床を離れて起き出しました。そして早速昨夜母から見せて貰った服地を見ようと、昨夜寝る前に母が置いた棚の処へ行きました。この馬鹿者でも新しい着物を着るのが余程嬉しかったと見えます。大愚はすっかりほくほくもので棚の処へ来て見るとこれは意外、昨夜確かに母が置いたその服地は、自分達が寝ている間にどこかへ行ったものか、影も形もありません。流石の大愚も泣かんばかりに吃驚して、

 『おやないぞ、どうしたかな、わし等の寝ている間に、誰か盗みやがったな』と、四辺を血眼になってごそごそ捜し廻りました。けれどどこへ行ったものか、皆目見当たりません。大愚は顔色をかえて、まだ寝ている両親の枕許へ飛んで行き、大声を張り上げて、

 『た、た、大変だ大変だ』と云ったまま、大きな男がおいおい泣きだしました。寝ていた陳夫婦は不意にこう呶鳴られたので、これも吃驚して眼を覚ましました。そして寝床から飛び起きてみると、大愚がおいおいと正体もなく大声で泣いているので、夫婦は何事かと驚き呆れ、泣き入る大愚を宥めすかし、事の仔細を聞いてみました。すると、例の大切な服地が紛失していると云うのです。これには夫婦も驚いて、今度は親子三人で眼を皿にして捜し廻りましたが、それらしいものは影も形もありません。不思議なこともあるものだとは思いましたが、根が豚小屋同然の頽屋、戸締さえ禄に出来ない家のこと、多分親子が寝ている間に、盗棒が入って盗んで行ったに相違ないと、夫婦の者はこう気がつきました。そこで泣き入っている大愚にもこの事をよく言いきかせ、盗棒の仕業だろうから仕方がない、断念めるがいい、このうちにまた買ってやると云って、慰めました。けれど折角働いて儲けたお金で、やっと買って来て、可愛いわが子に着せて喜ばせようとした妻にしてみれば、思えば思うほど口惜しい、情けなくて堪りませんでした。そして、

 『本当にまァ何と云う憎らしい盗棒なんだろう、貧乏な我家などに入って、物品を盗むなんて』と云って、落胆してしまいました。すると陳は、

 『何も運が悪いからさ、愚痴なんか云わないで断念めるがいい』と、これも困り抜いて宥めました。けれど、妻は何と云っても女のことです、あきらめろと言われたってなかなか断念めることは出来ません。それに大愚は大愚で、昨夜から楽しみにしているのですから、今になって、父が何と云ったとて、おいそれと済ますことではありません、いかにも馬鹿者らしい文句をいろいろと並べ立てるのです。

 『ねえお父さん、口惜しいよ、わしこれから捜しに行こう。この界隈は広いようで狭いんだから、捜せば見つかるとも。服地だってちゃんと覚えているらあ。真白な布なのさ、なァに心配しなくでもいい、わしが行ってすぐ捜して来る』

 そこが愚物の悲しさ、ただ白い布ということばかりを目当てに、父の止めるのを聴かず、こう云うが早いか、ひょいとわが家を飛び出してしまいました。陳もすぐさまその後を追いかけて門口の処まで出てみましたが、何処へ行ったものか、もう影も形も見えません。で、仕方なしに、

 『どうも馬鹿者には困ってしまう、あんな奴のことだから、また飛んでもないことを仕出来してきやしないだろうか』独言を云いながら部屋へ帰りました。そしてすっかり落胆して茫然している妻に、大愚が飛出したことを話して、

 『おいおい、もう愚痴を云っても、盗まれたものは戻って来ない、災難と思って思い切るさ』と、妻の気を替えさせようとしました。けれど妻は女ですから、なかなかそう云うわけにはゆきません。で、陳は仕方なしに、その上何とも云わず、さっさと稼ぎに出かけました。

 さて口惜し紛れにわが家を飛び出した大愚は、捜しには出たものの、実のところ何処と云う目当てもないので、暫くはただ足に任せて歩いておりましたたが、ふと気がついて見ると、自分は或道の四辻の所に立っているのでした。

 『さァ、わしは何処へ行くつもりだったろうな』大愚は歩み止めて、こう独言を云いました。けれど、無論何処を捜すと云う考もないので、儘よどばかりそれからは足の向いた方へ出かけ、東へ行ったり西へ戻ったりして、ぐるぐる歩き廻った末、たうとう一つの橋の袂へ来かかりました。するとその時、向こうから澤山の吊旗を先頭に、ぴいぴいどんじゃんと銅鑼や笛太鼓を打ち鳴かした葬式の行列が、大愚の方へ進んで来ました。これがお葬式などとは夢にも知らぬ大愚は、暫くの間その行列をさも面白そうに見ていましたが、その時ふと彼の目にはいったのは、その行列の中の人が大勢、頭に白い布を被っていることでした。

 『やァ、あの男だな、わしの家から盗んだ奴は、そうだ。あの白い布はわしの服地なんだ』馬鹿者のこととて全く仕方がありません、白い布を見ると、盗んだ物を使って頭に被っているのだと一途に思い込んだものです。さあ大変、盗んだ奴を捜して当てたと大層喜んで、不意に行列の中に躍り込みました。そしてこれもやっぱり白い布を頭に被っていた一人の男を捕まえて、

 『やい、この野郎。よくも図々しくわしの家から盗んだ布を頭に被っていやがるな、この盗棒め。さァ捜し当てたぞ、捕まえるぞ』と、呶鳴りながら力いっぱい小突き廻りました。

 葬式の横合から妙な男が不意に飛び込んで、盗棒呼はりをしながら小突き廻したので、捉った男も吃驚して、

 『な、な、何を云うんだ、この狂人奴』と叱りつけました。けれど一途にそうだと思い込んでいる大愚は眼を怒らして、

 『なんだ、よくそんな事が云える。その頭に被っている白い布は、俺の家から盗んで来たんだろう、この盗棒奴』と云って、また棒を振って打ってかかりました。で、こんな邪魔者が入った葬式の行列は一度にどっと崩れ、たうとう騒動になってしまいました。これを見た行列の人々は、

 『それ狂人が飛び込んだ』と皆で押えつけようとしましたが、何しろ大愚は馬鹿に力が強いので、なかなか押えられず、益々暴れ出すばかりでした。押えようとしている人が、反って押えられそうになる状態なのです。で、皆も狂人を対手にしては損だとばかり、可い加減にあしらって、また行列は進み始めました。ところが大愚はいよいよ怒って、

 『おのれ、脱すものか』と、その後を追いかけ、またもや暴れ出すので、今度は先方も容赦せず、みんなで寄って集って取り押えました。大愚の頭には拳固が雨のように降って来ました。多勢に無勢、流石の大愚も散々苛めぬかれ、

 『この白痴者奴、気をつけろ』と呶鳴られ、袋叩の憂き目を見ました。

 幾ら強くても衆寡敵せずで、大愚は盗んだ奴を押えようとして、反対に袋叩きになり、頭に大きな瘤さえ作って怕然と我が家に帰り、今日の出来事をさも口惜しそうに父に訴えました。父は息子の愚かさを今更のように呆れはてて、大愚の頭を覗きながら、

 『ああああ、お前はほんとになんという馬鹿者だろう。お前が見たと云う行列は、それは葬式なんだよ。そう云う時には誰も悲しい思いの人ばかりなのだから、どうもお気の毒様、御愁傷のことで御座いますと云えば、先方でも喜ぶのだ、いいか分ったかな』と教えました。そして言葉を次いで『それから何だぜ、白い布だってうちだけにあるんじゃない、何処の家にもあって、誰でも使うのだ、だからただ白い布を見たからと云って、盗棒呼はりは可くないよ。無闇と人を疑うものだから、そんな酷い目に逢ったんだ。罰だと思うがいい』と、叱りました。大愚はただ、はいはいと神妙に父の言葉を聴いておりましたが、さてそれが本当に分ったのかどうかは、甚だ以って怪しいものでした。

 翌日になりました。すると大愚は昨日の失敗に懲りもせず、又も白い布の行衛を捜しにと出かけました。ところがこの日は丁度村外れの処で、昨日とはまるで反対に、お芽出度い嫁入りの行列に出会いました。けれど大愚にはそれがお嫁入りの行列だなどという事は分りません。昨日見たのと同じように行列をして、銅鑼や笛太鼓を鳴らして来るので、これは正しく葬式だと思い込んでしまいました。そして、嫁入りの行列が近くに来た時、昨日父から聞かされたことを思い出しました。で、

 『そうだ、早速行って言葉をかけて遣ろう』と、殊勝な考えを起して、つかつかと行列の側へ行き、真面目くさって行列の一人に、いきなり声をかけました。

 『いやどうもお気の毒なことで、御愁傷さま、さぞお力落して御座いましょう』

 いかにも馬鹿らしい大声で悔みを述べながら、頭を下げて挨拶したから堪りません。挨拶された人ばかりではなく、行列の人々はみんな驚き呆れて、これはまた飛んだ狂人が飛び出したものと思いました。中には縁喜でもないと怒る人もあって、気の速い連中は、

 『この阿呆奴、何だ縁喜の悪い、悔みなぞ吐かしやがって。この野郎、葬式だと思って間違えたのか、嫁入りなら嫁入りかと呆れていると、もう他の人達もすっかり大愚を狂人扱にして、手取足取り、たうとう田圃の中に抛り込んでしまいました。

 二度の失策に、憂き目を見た大愚は、泥の中に投げ込まれ、泥染になって、あいよいよいと外聞も構わず大声あげて泣き、痛む体を擦りながら、わが家へ帰って来ました。そして両親の前で今日の出来事をすっかり話しました。これを聞いた両親は余りのことに甚くも叱れず、互いに顔を見合せて、暫く困じはてたような様子をしましたが、やがて、父は苦い顔をして大愚を睨みつけ、

 『ほんとにお前は厄介な奴だなあ。お前の云ったのはそれや葬式の時の文句だ。今日のは葬式じゃない嫁入りじゃないか。嫁入りは芽出度いもの、それに悔みを云う奴がいるかい。先方が怒って狂人扱にするのはあたりまえだ。なあ、そう云う時には、お芽出度う御座います、と云うものだ、判ったかい』と教えました。すると大愚は、

 『お父さん、葬式と嫁入りとは如何異うね』と訊ねるのです。で、父は両方の異ったところを判るように話して、

 『これからも気をつけるんだぜ、それに嫁入り時には、荷物を運んだりして人が忙しそうにして働いて居るから、そんな家はすぐに判るさ』と教えました。

 一度ならず二度ならず、三度までも失策しましたが、馬鹿者だけに性懲りもなく、その翌日になるとまだぞろ出かけました。そしてその日は、何と思ったか一里も距れた町まで出かけました。ところが、町のとある横小路の所へ来ると、俄に人が騒ぎ廻り、向うには黒煙がもうもうとたち上り、大勢の人が慌ていためいて、荷物を担いだ抱えたりして、右往左往に駈け廻っています。大愚はこの状景を見ると、一体何事が起ったのだろうと、往来に立って見ていました。すると、おい避け、この野郎邪魔だと幾度となく呶鳴りつけられ、叱り飛ばされるので、どうも不思議な事だわいとは思いましたが、まさかそれが火事だなどは一向気がつきませんでした。ただ眼につくのは大勢の人がさも忙しそうに、荷物を運んでいることだけでした。大愚は、昨日の父の話を思い出して、「ははあ嫁入りがあるんだな、それでこう大勢の人が忙しそうに運んでいるんだ」と、こう考えたものですから、また大変な事になりました。

 さて、火事騒ぎを嫁入りだと思った大愚は、丁度側に荷物を運んで来て、一寸休んでいる人の処へつかつかと進んで、昨日父から教えられた通り、

 『いやお忙しう、今日はおめでとう御座います』と例の大声で挨拶しました。声をかけられた人間は妙な顔をして、大愚の様子をじろじろ見て、「これや狂人かな」と思ったらしい顔つきをして、別に何とも云えず、またも荷物を運ぼうとしました。ところがその人の無愛想が大愚の気に入りませんでした。そしてまたもや大声で、

 『いや今日はおめでとう』と云いかけると、その時不意に横合から、

 『な、何を吐かす、この頓智奇野郎。何がめでたいんだ』と、恐ろしい権幕で叱りつけた者がありました。大愚は吃驚してひょいとその方を見ると、そこには火事場でよく見かける消防夫のように、火消装束に身を固めた男が立っていました。はて不思議、嫁入りに消防夫はとさすがの大愚もちょっと変に思ったものの、今度はその男に、

 『いや、今日はおめでとう』と挨拶しました。さあその男は承知しません。

 『何だ、箆棒奴、家がまる焼けになって何がめでたいんだ』と云って、持っていた鳶口で打ちかかろうとしました。驚いたのは大愚です。

 『ほいまた失策か』と、縮み上ってわが家をさして、一目散に逃げ帰りました。そして息を切らしてああ恐かったと言ったきり、顔色を変えて慄えていました。

 善木は大愚からこの日の出来事を聞いて、また失策をやったか、どうも困ったと云うような顔をして、

 『それやお前が悪い、幾ら忙しそうに荷物を運んでいたって、煙があがって家が焼けていちゃ、それは嫁入りじゃない、火事だよ。火事にお芽出度うと云う奴が何処にある、全く困った男だな。お前は戸外に出ればいつも失策ばかりするんだから、これからは出じゃいけない、じっとして家にいるんだぞ』と、厳しく吩咐けました。そして言葉を続けて、『お前火事で焼けているのを見たら、桶に水を汲んで、火を消す手伝をするもんだ』と教えました。

 大愚は余程消防夫が恐ろしかったと見えて、それから五六日は外出もせず、家にばかりおりました。けれど幾ら愚物でも度々の失策を思うと口惜しくて溜らず、一度だけでもいいから褒められたいと考えました。そしてもう失くなった布地を探すことなどはとんと忘れて、ただ褒められたい一念から、止せば可いのに、またもやぶらりと家を出かけました。無論何処へ行くと云う目的なぞありません。ただ足の向く方へ、ぶらぶらと歩きながら、

 『今日は何処かに火事がないかな、火事があったら、お父さんに教はった通り、直ぐ桶に水を汲んで手伝って消してやろう。そうすれば、きっと皆が褒めるに相違ない。ああ火事はないかな』と、独言を云って、火事を探して歩き廻りました。全く厄介な男です。そのうちにふとある横町の方からとんてんかんとんかんと金を打つ音が聞えましたので、大愚はその音のする方へ行ってみました。そこでは鍛冶屋が頻りに仕事をしているのでした。鍛冶屋とは知らない大愚は、鍛冶屋の工場に、火が盛に燃え立っているのを見ると、

 『ああ火が燃えているな、さあ火事だ、しめたつ、何処かに桶はないかな』と、きょろきょろ四辺を見廻すと、丁度家の前に桶があって、それに満々と水が入れてあります。それを見ると大愚は、「うむこれや丁度好い、一つこの桶の水で消してやろう」と一人で頷き、早速その桶を提げて鍛冶屋の工場に飛んで行き、不意に物も云わずに、さっとばかり桶の水を、燃えている火の上に打ち撒きました。さあ大変、一時にぱっと灰神楽が起って、あたり一面灰だらけになってしまいました。

 鍛冶屋の主人はこの騒ぎに驚き怒って、頭から被った灰を払わず大声で呶鳴つけました。

 『やいこの野郎、悪戯をするに事を缺いて、よくもこんな真似をしやがったな。さあ己に何の怨恨があるんだ』驚いたのは大愚です。さては火事ではなかったか、これはまた飛んだ失策をしたわいと、やにわに身を飜して逃げ出そうとしました。すると、怒った鍛冶屋の主人は、

 『この野郎よくも仕事の邪魔をしやがったな、さあ承知は出来ねえ、こうして呉れる』と鉄槌を振り上げて打って掛りました。大愚はびっくり仰天して逃げようとした途端、運悪く脛の辺を一打ちぐわんとやられましたので、呀と叫んでばったり倒れました。けれど、ぐずぐずしていればまたやられる、それでは生命が危いとすぐさま起きて上って、痛む足を撫りながら、躄足をひいてやっとわが家に辿り着き、ほっと一息つきました。そして父に今日の出来事をすっかり話しました。

 これを聞いた父はもう叱るにも叱れず、

 『それやお前火事じゃない、鍛冶屋が工場で火を燃していたんだよ。折角仕事をしているのに、そこへ水を撒けばそりゃ怒るに極まっている。火を消して手伝をするのは、家が焼けている時だよ。鍛冶屋に褒められようと思ったら、鉄槌で向う槌でも打ってやるんだ』と云いました。

 これだけ痛い目をしましたが、大愚はなかなか懲りません。今度こそ一つ褒められようと、二三日するとまた家を出て、今度はまっすぐに鍛冶屋の前へ行きました。ところで其処では二人の男が、手をふりながら声高に呶鳴りあっていました。それを見ると大愚は、

 『さあお父さんが云った通り、一つ手伝ってやろう』と云って、側にあった鉄槌を提げていきなり二人の仲に飛び込み、

 『さあ手伝ってやるぞ』と呶鳴りました。これを見た二人の男は吃驚して、一緒に大愚を睨みつけ、

 『やあ、この野郎、何しに来た、鉄槌なぞ提げやがって、乱暴すると承知しないぞ』と一人が叱ると、ほかの一人は、

 『乱暴な奴だな。なに狂人か、狂人ならこうしてやろう』と云って、いきなり拳固をかためて大愚の頭をぽかりと擲りつけました。するとも一人もまた拳固で擲りつけましたから堪りません、大愚は、

 『な、何をするんだ、手伝が悪いか』と云うと、二人は、

 『なにを生意気な、狂人にはこうしても可いんだ』と、なほも寄ってたかって擲りつけるのです。大愚はすっかり面喰ってほうほうの体でわが家へ逃げ帰りました。その頃には大きな瘤が幾個となくでておりました。

 大愚から頭の瘤の出来た話を聞いた父親は、息子の馬鹿がいよいよ情なくなって、

 『おい、もう可い加減にしないか。それやお前も喧嘩をしていたんだ、喧嘩の時には仲に入って、まあ腹も立たうが、何方も勘弁してと宥めなけやいけない。もうお前も懲りただろう、これからは一切外出してはならんぞ』と厳しく云いつけました。さすがの大愚も重ね重ねの失策に懲りたのでしょう、それからというもの神妙に、一足も家の外に踏み出さず、家にばかりおりました。ところが或日のこと、父親から云いつけられた仕事を窓の下の机で、こつこつとやっていますと、何だかふうふうと云うような妙な獣の唸り声が、窓の外から聞えて来ました。

 何んだろうと思って大愚が窓から覗いて見ると、それでは大きな角をした水牛が二頭、角を衝き合せ、ふうふう云いながらしきりに喧嘩をしておりました。これを見た大愚は、

 『やあ喧嘩だ、水牛の喧嘩だ』と思わず大声で叫んで、早速飛び出しました。喧嘩の見物かと思うとそうではありません。「喧嘩だな、先日鍛冶屋の喧嘩に飛び込んで瘤を貰ったから、今日こそお父さんの云った通り、仲裁に入って宥めてやろう」と、獣の喧嘩も人の喧嘩も一緒にして、角を衝き合せて居る二頭の水牛の間に割り込みました。そして、

 『さあさあ喧嘩を止めだ、相互に勘弁してな』と、一生懸命宥めましたが、何しろ対牛は水牛、獣の事ですから、そんな言葉なぞ解ろう筈はありません。飛んだ邪魔ものがはいったものだ。大方自己達を苛めるのだとでも思ったものか、二頭の水牛は喧嘩を止めて、二頭とも大愚目がけ衝つかかって来るから堪りません、大愚が驚いて逃げようとしたところを、怒りぬいた水牛は大きな角を振り立て立て、一頭は大愚の背を突いて倒し、他の一頭は起き上ろうとする所を、股に角をかけて今度は仰向ざまに突き上げ、さんざんな目にあわせました。そして大怪我をして、血塗れになって苦しみ呻いている大愚を尻目にかけて、これで腹癒が出来たと云わぬばかりに、何処ともなく逃げて行ってしまいました。

 馬鹿ほど可哀そうなものはありません。大愚は父の言葉の通り喧嘩の仲裁をしたのですが、それが運悪く人の言葉の解らない水牛だったものですから、飛んだ災難に逢ってしまいました。血染になって路傍に倒れているのを見かけた通行人が驚いて介抱し、やっと家へ連れて帰りました。けれど何しろ大怪我をしているので、すっかり弱って死んだようになっていました。母親はそれを一目見ると、もう死んだものと思い込み、吃驚して、その側に飛んで行き、大愚に取り縋って正体なく泣き崩れると云う始末。善木の家では飛んだ大騒動が起ってしまいました。父親の善木もこの時ばかりは愚痴をこぼして、

 『ああ何と云うことだろう。私はこの歳になるまで一度だって悪い事などした事はないのに、何と云うめぐり合せだろう。大愚のような大馬鹿者の枠が出来て、たうとうこんな始末だ。何という情けない事だろう』と、溜息をつきました。

 するとこの時不思議にも、神様の使だと云う白髪の老人が姿を現し、

 『これ善木、嘆くなよなよ。神は其方の善心善行を嘉せられて、これなる膏薬と丸薬をお授け下さる、難有く御受け致せ』と云って、まず膏薬を善木に渡しました。そして言葉を次いで、『この膏薬を忰の傷につければ、傷は立ち所に癒り、苦痛は除かれ、健強の体に復する』と云いながら今度は丸薬を渡して、『この丸薬を忰に服せしむれば、愚なる息子忽ち智者となる』と云って、最後に一層力を込めて、『神の仰せじゃ、ゆめゆめ疑う勿れ』と云ったと思うと、老人の姿は煙のように消えてしまいました。

 善人の善木は、遺された膏薬と丸薬を手にし、嬉しさの余り、これを捧げて天を拝し、神の恵みに感泣して、早速膏薬を大愚の傷に塗りました。と、これは不思議、薬の功験立刻に現れ、忽ち傷が癒って健強な体になりました。これを見た善木夫婦は言うまでもないこと、居合わした人達も、その霊薬の功験に今更のように驚きました。これに力を得た善木は、今度は丸薬を大愚に服用させました。すると、不思議や大愚は驚くばかりの智者となりましたから、善木夫婦は夢かとばかりうち喜び、真心捧げて神様にお礼を申しました。一度は苦しみと悲しみのどん底に沈んだ善木一家も、今や花咲く春に廻り会ったよう、喜びが家内に満ち溢れました。その後大愚は大奮発して学問を励み、終いには大層出世して、家は次第に富み栄えたということです。正直の頭に神宿る。今でも台湾人は『神祐正直之人』と云って大愚の話を伝えております。