2007年11月15日木曜日

虎を欺いた猫の話

昔々ある山の中に、虎と猫とが棲んでいました。虎と猫とは形や姿がよく似ているので、 『お前と私は、こうお互いに形や姿が似ているから親類なんだよ』と云っては、平常からどっちからも往来して仲良くしていました。ある日のこと、虎が猫の家へ訪ねて来て、にこにこしながら言いました。

 『おい猫さん、どうしたと云うんだろう、この頃は山を歩いても、村へ出かけてみても、さっぱりいい獲物にありつかないんだよ。すっかり困ってしまったよ。どうだね、お前さん何処か好い獲物のありそうな所を知っているなら、親類じゃないか、一つ教えてくれないか』余程困っていると見えて、いつもの元気は何処へやら消え失せて、虎は弱音を吐きました。ところがその頃猫も同様好い獲物がなくて困っているところなので、

 『そうだね、実は私も困っているところなのさ、教えるところか、こっちで教えて貰いたいくらいだよ』と、さも困ったというような顔をしました。

 虎はそう聞くと一寸気を廻して、猫の奴わざと隠しているんじゃないかと思いました。

 『そうかね、そいつあ困ったな、お互いにこんなじゃ次第に疲せるばかりだ』と云って猫の様子をじろじろ見ながら、

 『時に猫さん、お前さんはよく麓の村に行くじゃないか』とかまをかけました。猫はそんなこととは知らず、

 『うむ先頃二三度行ってみたが、どの村も同じで、獲物なんかちっともありやしないよ』と、気のない返事をしました。これを聞くと、虎は小々機嫌を損じたらしい、

 『そうか、それや困るな、だが町はどうだい、私は滅多に町へ行かないか。お前さんは時々行くだろう。

 町なら一つや二つはありそうなもんじゃないか』と、今度は町の様子を訊きました。猫は町と聞いて、なお更ら厭な顔をして、

 『町かね、町はなお駄目だよ』と一向浮かばない返事をしました。そこで虎は余計気を悪くし、

 『なに町は駄目だって、はは冗談云つちやいけないよ。町に行きや家鴨や鶏がいるだろう』と突っ込んで訊ねました。猫は虎が機嫌を損じたと知って、

 『それや村だって町だって人間がいるんだから、家鴨も鶏もいるさ。だけど家鴨や鶏は町より村の方が沢山飼ってるんだから、もし欲しきや村へ行くさ。けども、あんなちっぽけなものでいいのかい、小さいのは面倒じゃないか』と云いました。虎はいよいよ機嫌を悪くして、

 『じゃあ大きな奴がいるかい』と問い返しました。猫は笑いながら、

 『豚ならいるさ、それじゃそうだね』と云いました。そして体が大きいから豚だって我慢すると云う虎の弱音を気の毒に思いました。けれども虎はすっかりへこたれている時なので、

 『うむ、豚も結構だ。けれど一層のこと人間にしようかな』と、とうとう恐ろしいことを言いだしました。

 弱音を吐いた虎が、人間にしようかなどと云うのを聞いた猫は吃驚して、これは飛んだことになってしまったぞと思いました。

 『なに人間にするって、恐ろしいことをいうじゃないか、私はもうお前さんと一緒にいるのは御免だ』

 今度は虎が猫の弱音を笑いました。

 『ははあ、弱い音を吐くじゃないか、そんなに人間が恐ろしいかね』と云って『いいじゃないか、一緒に行こう』と誘いました。けれども猫は尻込みして、

 『厭だよ、お前さんは強いからいいけれど、私はこんなに弱いんだもの、一緒に行きや、私の方が剣呑だからね』と、どうしても一緒に行こうと云いません。

 『ははあ、何を云うんだい、いいから行こうよ、構わないじゃないか。仕事は私がするから、お前さんは案内だけしてくれなよ』

 こう言われてとうとう猫も仕方なしに、虎と一緒に村をさして出かけることにしました。

 さて虎と猫とは早速打ち連れ立って、麓の村へ出かけ、ここかしこと村中捜し廻りましたが、生憎といい獲物が見つかりません。二匹は仕方なしに、残念ながら不運とあきらめて、山へ帰りかけました。するとある百姓家の裏で一頭の大きな豚が、竹薮の蔭をのそのそ歩いているのを見つけました。猫はすぐさま虎を呼び止めて、

 『おい、豚がいるよ、豚でもいいかね』と云いました。虎は獲物がないのに気を腐らしているところなので、

 『うむ、豚でも結構』と云いながら猫の側へ来て、『おい、どこにいるんだい』と訊ねました。猫は竹薮の蔭を指して、

 『そら、あそこにいるだろう』と云うので、虎がその指された方を見ると、なるほど大きな豚がおります。

 『うむ、いた、いた、しかも大きな奴だ。これや有難い、よし、私が一つやつつけてやろう』と、乗気になって豚を襲いかかりました。

 豚は恐ろしい虎が今にも飛びかかろうと、身を潜ませて近づいたのも知らず、うろうろ飼をあさって歩きながら、いつの間にか虎の側まで来てしまいました。虎はこの時とばかり見構して、

 『うおう』と一声高く唸りました。豚はこの唸声を聞くと、さては恐ろしい虎の声と吃驚仰天、見るともう眼の前に物凄い虎が、自分を狙って今にも飛びかからうとしているのです。慄へ上って、一生懸命逃げようとしましたが、もう足が竦んでしまって逃げることもできません。悲しそうに、

『ういうい』となきながらぶるぶる慄へているばかりです。虎はすぐさまそれに飛びかかって、見る間に大きな豚を咬み殺してしまいました。そしてうまくいつたわいと勢込んで四辺を見廻し、

 『おい猫さん、どこにいるんだ、早く来ないか、うまくいったよ』と、猫を呼びました。竹薮の隅に隠れて様子を見ていた猫は、虎からこう呼ばれるので、のこのこと出て来ました。そしてさも感心したように、

 『いやどうも豪勢なものだね、私は今まで竹薮の所で、お前さんの働きを見ていたが、余りの恐ろしさに慄へ上ってしまったよ』と褒めました。虎はちょっと得意になってにこにこしながら、

 『そうか、だが慄へるとはあまり弱いじゃないか。そんな弱いことを云つちや、私の恥になるよ、お前さんと私は親類じゃないか』と云ってからからと笑いました。そして『まあ、そんな事はどうでもいい、兎に角久方振で獲物にありついたんだ、早速喰おうじゃないか、遠慮しないがいい』と、虎はすぐさま獲物の豚を喰べ始めました。そこで猫も、

 『いやこれは御馳走さま、遠慮なしに頂くとしよう、お互いに親類だからね』と、お世辞を云いました。虎と猫とは甘そうに豚を喰べて、切りに舌鼓を打っていました。

 幾ら大きな豚でもたった一匹では虎だけで喰べても充分ではありません。その上猫まで喰べたのですから、すぐに喰い尽してしまいました。けれども猫はまだ地面に流れている血をさも甘そうに舐め廻っておりました。これを見ると虎が不思議そうな顔をして、

 『そうか、そんなに甘いかい、私も一つ舐めてみたいな。だがうどして舐めるのか舐め方が分らない。おいちよつと教えてくれないか』と云いました。

 狡猾な猫は虎が唸って敵に勝つことを知ったので、唸り方を覚えて一つ敵を負かしてやろうと考えていたところへ、うまくとり換えってこするものが出来たので、虎が教えろと云ったのを幸に、

 『うん教えてやろうが、私にも一つ註文があるな』と云って、唸り方を教えてくれと頼みました。虎はこれを聞くと、

 『ははあ、何の註文かと思ったら、何だ唸り方かい。うむ、それや教えもしよう、だが、それより舐め方を先に頼もう。さうしないとお前さん欺ますかも知れないからな』

 猫はわざとらしく笑って、

 『それや此方で云うことさ、お前さんは強い獣だもの、舐め方を教えてしまった後で約束を破られたって、私にやどうすることも出来ないじゃないか。だから、私が先に教わるとしようよ』と、うまく虎を欺ましてしまいました。

 虎は欺まされるとも知らず唸り方を教えてやりました。

 猫はそれを一度にすぐ覚えてしまって、まずこれでよしと一人で心にうなずき、

 『いや大きに有難う。よく分ったよ、もう大丈夫、いつでも唸れる』と礼を云って、虎が今度は自分の番だと待っているのも構わず、

 『ではぼつぼつ帰るとしようか』と云って挨拶をしてずんずん帰りかけました。そこで、

 虎はそれじゃ約束が違うと驚いて、

 『おいおい、今度は私の番だよ。舐め方を教えてくれないか』と云いました。すると猫は今更気づいたという様子で、

 『ああそうそう』と云いながら、ちょっと空の方を眺めて、『だが、今日はもう遅いから駄目だよ。もうすぐ夜になるから明日にしようよ。夜我家へ帰ってると途中が物騒だからね』と、まことしやかに云って、夜になるのをさも怖がっているような風をしました。虎は欺まされるなどとは知りません、猫からこう云われて、四辺の光景を見ると、なるほどもういつの間にか夕方なので、それでは明日にしようと思って、

 『じゃ今日は仕方がない、明日にしよう、明日はきっと教えてくれるんだぜ。いいか、頼んだよ、確かに約束したよ』と、その日は豚肉の御馳走にありつけたのを喜んで、猫と連れだって山へ帰って行きました。

 さて翌日になると、虎は早速猫の家へ訪ねて行きました。

 『おい猫さん、約束だよ。さあ今日は教えて貰おう』

 けれども猫は、もともと欺まして唸り方を教わらうと考えていたのですから、約束はしたものの、なかなかおいそれと教えようとはしません。

 『ああ困ったな、実は虎さん。昨日お前さんの御馳走で豚を喰い過ぎたと見えて、今日はどうも腹の工合が悪いんだよ。折角だが明日に延ばしてくれないか、明日はきっと教えるから』と、さもまことしやかに口から出任せの口実をつけて、気の毒そうに謝絶を云いました。虎はそれでも教えろとも云わないので、

 『そうか、それやいけないな。腹の工合が悪くつちや仕方がない、じゃまた明日来るとしよう』と、渋々立ち上りかけました。

 『うむ、ほんとに足を運ばせて気の毒したね』猫はかう云いながら、虎を見送りました。その後では、長い舌をぺろりと出して、うまく欺ましてやつたわいと、さも気味よさそうに、にやりと笑いました。

 かくとも覚らぬ虎は、その翌日になると、またしても猫の家へやって来ました。

 『さあ、今日こそ是が非でも教えて貰うぜ』と、立腹の体で居催促しました。かう幾度も催促に来られてはいささか蒼蝿いな、と猫はかう思ったものの、相手は何しろ恐ろしい猛獣のこと、迂闊に口をきけばそれこそ生命が危ないので、何とかうまく遁げる工夫はあるまいかと、いろいろ考えてみましたが、頓と思い当りません。その上虎はますますやかましく言って催促するので、今はもう絶体絶命、

 『ああ、面倒臭い、何だ唸り方一つ教えたと云って、そうやかましく催促するにや当らないじゃないか。なに約束だと、ははあ、約束は約束さ、だが私の方にも都合があるからね、今日は何と言っても駄目だよ』と、素気なく断ってしまいました。さあ、虎は怒るまいことか、

 『この畜生、よくも約束を破ったな、覚えていろ。もう用捨はない、咬み殺してくれるぞ』と物凄い勢で猫を目がけて飛びかかりました。その時猫はひらりと身をかわし、側にあった樹の上へ、するすると攀ってしまいました。そして、

 『ああ驚いた、危ない危ない』と云いながら枝の上へ腰をおろして、

 『乱暴するしゃないよ。危くって堪らない』と、樹の根元に身構えて、猫を睨んで怒りぬいている虎に向って、

 『おい虎さん、怒ったね、口惜しいかい。口惜しきやここまで来るさ、どうだい来られるかな』と、横着にも虎を嘲笑いました。これを聞いた虎は己れ憎い猫奴と、今にも飛びかかろうとしました。けれども虎には樹攀りは出来ません、口惜しいが仕方がないので、地団駄踏んで怒ってみるばかりです。

 『おのれ猫奴、よくもこのおれを誑したな。よし、もう、この上は貴様が下りて来るまで、いつまででもここで待っているぞ』と呶鳴りつけました。すると、枝の上の猫は、

 『あはは』と笑って、『いや御苦労、いつまででも其処にいるさ、私はこれからちょっと餌を捜しに出かけるとしよう』と云って、ぴょいとほかの樹の枝に飛び移りました。これを見た虎はいよいよ怒ってその後を追いかけました。

 『おのれ何処へ行く、逃がすものか』

 『何処へ行かうと大きなお世話だ、まあお前さんはそこで番をしているさ』猫は笑いながら云って、樹から樹を伝って、ずんずん逃げて行きました。虎は口惜しくて堪らないので、負けずに後を追いかけましたが、たうとう姿を見失ってしまいました。虎はたいそう残念がって、

 『よし、もうこの山は、山じゅう歩き廻って、見つけ次第に咬み殺してやる』とその日からというもの、毎日毎日歩き廻って、猫を捜しておりました。これを聞いた猫は、こいつ山にいては生命が危ないと、虎に知られないように、こっそり麓の村へ逃げ込んでしまいました。

 さて、村に逃げ込んだ猫は、ある人家へやって来て、神妙な猫撫声で、さも本当らしく、自分の悪いことはすっかり隠して、虚言八百を並べたて、親戚の虎に苛められ咬み殺される所を逃げて来ましたからと、悲しそうに救助を求めました。ところが、その家の主人というのが大層慈悲深い人だったので、猫の云うことをすっかりまに受けてしまいました。その上ふだんから虎をひどく憎んでいましたので、早速その猫を自分の家で飼うことにしました。そして大切にして可愛がってくれるので、猫もこれですっかり安心しました。ところがある日のこと、主人は猫を呼んでこんなことを言いだしました。

 『おいおい、私はお前の身の上話を聞いて、そいつは気の毒だと思ったから、今日までこうして飼って置いたんだが、お前のようにそう毎日毎日遊んでいるんじゃ、もうこの上飼っておくわけにいかないよ。だから何処かぶらぶらしていても飼ってくれるような家へ行ってくれ。私は怠けるのが大嫌いなんだから』

 だしぬけにかう追い立てを喰った猫は、面喰ってしまいました。そして今まで怠けてばかりいたのを今更のように後悔して、

 『ではこれからはきっと働きますから、どうぞ飼って置いて下さい』と頼みました。そして種々と考えた末、この家には前から鼠が沢山いて恐ろしく乱暴するので、主人はじめ家の人がみんな閉口しているのを思い出して、一つ鼠退治をしてやろうと考えつきました。で、早速そのことを主人に申出ました。これを聞いた主人は大層喜びました。そこで、猫もたうとう改心して、それからというもの一生懸命鼠退治のためにつくし、鼠を一匹残らず追っ払ってしまいました。主人も家の人も大喜び、それからはお前にもまして可愛がってくれますので、猫もすっかり心を入れかえて、主人大事とよく働き、虚言も云わず、良い獣になりました。けれど虎はまだなかなか悪いことをしますし、いつまでも猫を敵とつけ狙っているので、滅多に外へも出られませんでした。そして糞をしにたまたま外へ出た時でも、虎に所在を知られぬために、きっと後脚でその糞に土をかけて埋めることにして、決してそれを忘れませんでした。今でも猫が外で糞をした後で、後脚で糞に土をかけるのは、この先祖の習慣が、子孫に伝わったのだそうです。