2008年4月15日火曜日

甦った花嫁と盗人

 昔ある所に、一人の花嫁さんがありました。若くて美しく、まことに淑かで、嫁入り先の家の人は言うまでもありません、村中の人達も、いいお嫁さんだ、いいお嫁さんだと褒めぬものはなく、その評判は大したものでした。

 ところが世の中のことは、そう善いことばかりあるものではありません。この幸福に満たされた若夫婦の身上にも、飛んだ哀悲が湧き出ました。それは或る日のこと、このお婿さんの家に祝事があって、知人や村人を招いて、盛んな夜宴が催され、主客諸共歓を尽して、大層賑やかでした。花嫁も今日は主人役、それに女のことですから、姑の手伝えをして、お客の接待やら、炊事場の世話に忙しく、体を憩める暇もないくらいでした。こうして馴れないのに、身体や気を余り遣い過ぎたものですから、終いにはへとへとに疲れてしまいました。で、ちょっと一休みしようと、人に気付かれないようにそっと自分の部屋に入って、ころりと寝台の上に寝転びました。が、余程疲れていたものと見えて、いつの間にか、そのままとろとろと寝込んでしまいました。けれどお座敷の方が気にかかっていたので、暫くするとすぐに目が醒めました。そして気がついていると、ひどくお腹が空いているのです。

 『こうお腹が空いてちゃ働けやしない、何か一口食べたいな、炊事場の方へ行けば何か残っているだろう』

余りお腹が空いていたものですから、花嫁は恥しいことも忘れて、炊事場の方へ行きました。幸い炊事場には誰もおりません。いい塩梅だと思いながら、四辺を見廻したが別人の来る様子もないので、すぐさま箸をとるたり、そこにあった鶏の肉を煮たお料理を大急ぎで飲み込みました。ところが、盗喰の天罰覿面、人の来ない間にと余り急いで呑み込んだものですから、鶏の骨が咽喉にひっかかってしまいました。骨はいよいよ深くささるばかりでなかなか取れません。そのうちに人でも来ては大変と、急いで自分の部屋へ隠れて、また一しきり苦心して見ましたが、どうしても取れません。痛さは痛し、心配にはなってくる、花嫁ははじめて自分のしたことを後悔しました。けれどもう後の祭、どうすることもできません。彼女はたうとう泣き出してしまいました。

 その時分、座敷の方では賑かに酒宴がはづんでおりましたが、どうしたものか、評判の花嫁が暫くその姿を見せませんので、それと氣づいて姑が、おや、嫁はどうしたんだろうと息子にそっと訊ねました。息子もそう云われてみると、嫁はもうさっきここへ姿を見せないのです。

 『じゃ、私が行って捜して来ましょう』

 『いいよいいよ、私が捜して来るから。お前は今夜の主人公なんだから、此処にいた方がいい』母子がこんなことを云いあっている所へ、下女が顔色を変えて駆け込んで来ました。

 『旦那様、大変でございます。若奥様が大変な御病気で……』と云って、自分が今、若夫婦の居間の前を通ると、部屋の中から女の呻き声が聞えるので、不思議に思って扉を開けて覗いて見ると、花嫁が四苦八苦の苦しみをしていた。で、これはてっきり急病だと思って注進に及んだのだと云い添えました。これを聞いて驚いた姑とお婿さんは、すぐさま花嫁さんの部屋へ駈付けました。見ると、なるほど下女の言った通り、花嫁は全身に油汗をかき、まっ青になって踠き苦しんでおります。お婿さんはもう氣が氣ではありません。花嫁の傍にすり寄って、

 『どうしたんだい。うん苦しいだろう、苦しいだろう。何か悪いものでも食べたんじゃないか』と、肩のあたりを撫でてやりながら優しく訊ねました。そこで花嫁も仕方なく、余りお腹が空いたので鶏肉を食べたところ、その骨が咽喉にかかって、こんなに苦しんでいるのです、と今までのことを正直に言ってしまいました。すぐにお医者が呼ばれました。

そしてこのお医者の手当で、鶏の骨はどうやらこうやら抜き取ることが出来ましたが、花嫁はそれからどつと病の床に就いたまま頭が上りません。お婿さんはじめ家の人達は大層心配して、夜の目も碌に寝ないで一生懸命看病しましたが、病気は日一日と次第に重くなってゆくばかりです。これは隠喰いなどしたので、炊事場の神様、七谷八谷の怒りに触れたものに相違ない、とこう思ったお婿さんは、日頃から信心している神様にお願がけして、毎日お詣りしては、

 『どうぞ、妻の病気をお癒し下さいますように』と言って拝んでおりました。

 けれどその効もなく、花嫁の病気は日一日と次第に重くなるばかりで、お婿さんはじめ大勢の人々の手厚い介抱を受けながら、たうとう死んでしまいました。家の人々の悲しみは言うまでもないこと、近所の人達までもその死を悲しまない者はありませんでした。中でもお婿さんの悲しみと言ったら大変なもので、到底筆にも紙にも尽されないほどでした。けれど死んでしまった者を今更幾ら悲しんだところで、生き返って来るものでもありません。せめてお葬式だけでも出来るだけ立派なものにしてやろうと、花嫁の骸には一番いい着物を着せて棺に収め、懇ろに野辺の送をすませました。こうして今まで春のように賑やかだった一家は、忽ちのうちに火の消えたような淋しさの中に閉じ込められてしまいました。

 さてそのお葬式のあった夜更けのこと、花嫁を葬った墓場の辺りを、うろうろとうろついている一人の男がありました。人目につかぬように、頭から黒い布をすっぽり被り、きょろきょろ四辺を見廻して、人の来る様子もないと見定めると、忍び足に花嫁の墓の方へ近づいて行きました。

 『何しろ名高い金満家の可愛い花嫁のお葬式だ、衣服だって、腕環や指環だって、それに頭の道具だって、定めし立派なものに相違あるめえ。長い間うめえ酒の一杯も飲めなんだが、飛んで金儲けが転げ込んだものだ』

 彼はこう、独言を云って、にやりと笑いました。言わずと知れた墓発きの盗人です。彼は凄い眼をしてもう一度四辺をぎろりと見廻わし、

 『さあ、ぼつぼつ仕事にかかるかな』とまた独言を言って、花嫁を埋めてある所をざくりざくりと掘りはじめました。やがて土を掘り除けてしまうと、中からは今日埋められたばかりの、新しい棺が出て来ました。盗人は縛ってある縄に手をかけて、力一ぱいやっと棺を穴の外へ持出しました。そして蓋を開けて見ると、中には立派な衣裳をつけた美しい花嫁が、まるで眠っているように横たわっています。盗人は大喜び、早速きものを剥ぎ取りにかかりましたが、すぐにきやつと言って飛び退きました。それもその筈です。今まで静かにつむっていた死人の目が急にぱっちりと開いたのです。盗人はそのまままっ青になって、しばらくの間はぶるぶる慄えておりましたが、

 『なあに、おれの気の迷いだ。死んだ人間が目を開くなんて、そんな馬鹿なことがあっておたまりこぼしがあるものか』と勇気を振い起して、もう一度そろりそろりと死体の方へ近づいて行きました。すると今度は、死体が口をききだしたではありませんか。

 『まあお前、何をするんです』

 幾ら大胆不敵な盗人も、こうなってはたまりません。

 『やあ、幽霊だ、幽霊だ、死んだ者が口をきいた』こう叫んだまま、たうとう腰をぬかしてしまいました。そして、歯の根をがくがくいわせながら、

 『ああ、悪かった、おれが悪かった。どうか勘弁しておくんなせえ。これこの通り盗んだものはみなんお返しいたします。今日限りふっつり心を入れかえて、決して悪い了見は起しません』こう云いながら、盗んだ品を返そうと恐る恐る顔をあげて、ひょいっと向うを見ると、どうでしょう。今の今まで横たわっていた花嫁が、いつの間にか起き上って、棺のまん中にぴったり坐っているではありませんか。

 『やつ、お助け』盗人は盗んだ品を投げ出すなり、転び転び逃げ出そうとしましたが、腰がぬけているので立つことが出来ないのです。その時棺の中から花嫁が静かに声をかけました。

 『あの、ちょっと待って下さい』幾ら待てと言ったところが、こうなってから待たれるものですか。聞えないような風をして、そのままどんどん逃げ出しました。すると、花嫁は、棺の中から飛び出して来て、たうとう盗人をとり押えてしまいました。たかが病み上りの女の力で捕まえたのですから、無理に振りきって逃げれば逃げられないことはないのですが、悪い事は出来ないもので、相手は自分が悪い事をしたのを怒って化けて出た幽霊だと思い込んでいるので、もう恐ろしい一方で手も足も出ません。

 『わっしが悪かったんです。どうか勘弁しておくんなせえ。ああ、気味が悪い。わっしは幽霊が大嫌いなんです、ええもう嘘じゃありません。今日限り盗みはふっつり止めました。これからは改心して、きっと正直に働きます』と盗人はこう云って泣いて詫りました。

 『まあそう怖がるには及びません』と花嫁はやっぱり静かな声で言いました。『私は化物でも、幽霊でもないのです。それはお前さんも知っている通り、一旦は死んでこの通り棺の中へ入れられて、お葬いまでして貰いましたが、まだ寿命があったものか、墓の下に埋められているうちに、息を吹き返したのです。そこへお前さんがやって来て、衣袴を剥がろうとしてわたしの身体を動かしたものだから、そのはずみにひょいと正気に返つたです。だから私は幽霊でもなければ、鬼でも化物でもありません。安心していらっしゃい。殺しもどうもしませんから』盗人はこれを聞いてやっと胸を撫で下しました。そして、

 「さてさて不思議なことがあるものだ。こんな人の物を盗もうものなら、それこそ神罰覿面どんな酷い目に逢わされるか分らない」と思って、『もうこれからは決して悪いことはしませんから、どうぞこのままお許し下さい』と、もう一度心の底から詫りました。

 『それは何より結構です。私もこんな嬉しいことはありません』花嫁は嬉しそうにこう言いました。『人の物を盗むなんて、それほど悪いことはありません。誰も知る者はあるまいなどと思っていても、きっといつかは分るに決っています。けれど悔い改めさえすれば罪は消えます。お前さんもいまここで改心して真人間になれば、神様は許して下さるでしょう』

 花嫁はこう言って懇々と盗人を戒めました。そこでこの盗人もすっかり改心して、夜も更けていることだしするから、花嫁も背負って家まで送り届けさしてくれと頼みました。花嫁も喜んでそれを許しました。

 さて、家では、この夜死んだ花嫁のために回向してやろうと、家の人達がみんな仏間に集って、お経をあげておりました。すると夜も大分更けた時分、表の戸をとんとんと叩くものがあります。今時分一体誰が来たのだろうと、不思議に思いながら、一人が立って行って扉を開けて見ますと、そこには見も知らぬ一人の男が、若い女を背負ってつつ立っているではありませんか。

 『誰方です、そして何処からいらしったのです』取り次ぎに出た人は、ぎょっとしながらこう訊ねました。

 『はい、墓所から参りました。この方のお供をしましてな』

 これを聞くとその人はきゃっと言って奥へ飛び込みました。そしてみんなにこの由を告げました。

 『何だ、そんな馬鹿なことがあるものか』というので、みなんぞろぞろ門口の方へ出て見ました。見ればなる程、見知らぬ男が女を背負って立っています。みんなはびくびくしながら、怖る怖るその方へ近寄って行きました。その時、今まで盗人の背に負さっていた花嫁は、大急ぎでその肩から飛び下り、お婿さんの傍へ駈け寄って、

 『私でございます』とたった一言いったまま、その肩に縋りついて、嬉し泣きに泣き沈んでしまいました。

 死んで、棺に入れて葬った花嫁がその時の姿のまま、しかもこんな夜更けに帰って来たのですから、家の人はみんな、花嫁が幽霊になって帰って来たに相違ないと思って、お婿さんのほか誰一人その傍へ寄りちかうとする者はありませんでした。この様子を見た盗人は、自分の悪事をすっかり白状して、墓場での一伍一什をこまかく話して聞かせました。お婿さんはじめ、家の人達の喜びは言うまでもありません。花嫁を背負って来た盗人も、大層嬉しんで、

 『いや、難有いことだ。私の悪事がもとで、こんなお芽出たいことが持ち上るなんて、こんな嬉しいことはありません。私もこれをしほに、今日限り心を入れかえて真面目に働きます』と、涙を流しながら改心を誓いました。

 その時、お婿さんは百両の銀を赤い紙に包んで奥から持って来て、

 『これはほんの志です。妻を甦らして頂いたお礼の印です。遠慮なく受け取って下さい』と、言って盗人に与えました。

 一家にはまた前に通りの春が甦りました。そして大勢の人から羨しがられながら、幸福な一日一日が過ぎてゆきました。またお婿さんからお金を貰った盗人も、そのお金を資本に、正直に一生懸命働いて、後には立派な商人になったということです。めでたしめでたし。