2008年8月15日金曜日

勇敢なナパアラマ

 昔々、あるところに、ひとりの少女が住んでいました。ある日のこと、川へ行って魚を捕まえようと、網を張ってまっていると、上流のほうから一本の棒が流れてきて、網にひっかかりました。少女はじゃまな棒だとばかり、外して下のほうへ投げすてましたが、ふしぎなことに、棒はぎゃくに流れてきて、また網にからみつきました。おかしなこともあるものだと思って、少女はその棒をひろいあげて、家へもって帰りました。

 つぎの朝、ふと気がつくと、その棒はどこへいったのか、かげもかたちもありません。

 それから三日たつと、少女はなんと大きな男の赤ちゃんを生みました。お母さんになった少女は、その子にナパアラマという名前をつけて、たいせつにそだてました。

 ナパアラマは大きくなるにつれて、力が強く、敏捷で勇敢な男の子になりました。五才になると、もう一人で弓矢をつくり、六才になると、それで鳥やけものをしとめるようになりましたが、一度も失敗しませんでした。お母さんはナパアラマをたいそうかわいがり、ナパアラマも、水を汲んだり、畑の草をとったりしてお母さんをたすけ、ふたりはつつましく平和に暮していました。

 しかし、そのころ天には太陽がふたつあって、夜と昼の区別がなく、一日中熱い光がこの世を照らし続けるので、人々はたいそう苦しい思いをしていました。

 「太陽がひとつになればいいのになあ。夜があれば、私達はぐっすり眠ることもできるのに。」と、人々は口ぐちに嘆きあいました。

 ある日、ナパアラマは、平たい器に水を入れ、お母さんにこういいました。

 「お母さん、僕はこれから出かけて、ふたつある太陽をひとつにしてこようと思います。もし失敗して僕が死ぬようなことになったら、この器から水がひとりでにあふれでるでしょう。でも、うまくいったときには、この器がひとりで動きます。そのときには、おもちをつくって僕の帰りをまっていてください。」

 お母さんはびっくりして、

 「お前はまだ、ほんの子どもだよ。そんなあぶないことはおやめ。」
と、とめましたが、ナパアラマの決心は固く、思いとどまらせることはできませんでした。

 ナパアラマは弓と矢をもって家を出ると、東へ東へと進んでゆきました。そして東の太陽たちがいつも狩りをする草原につきました。

 ナパアラマがふたつの太陽はどこだろうとあたりを見まわしていると、丁度太陽のひとりが、けものを追ってやってきました。ナパアラマは、自分のつくった弓に、狙ったらさいご、外れたことのない自慢の矢をつがえ、太陽めがけてキリリとつるをひきしぼりました。これを見た太陽はおどろいて、くるりとむきを変えて、逃げていってしまいました。

 ナパアラマはこんどは草むらにじっと身を潜めて、ふたたび太陽が通りかかるのをまっていました。どのぐらいたったでしょう、やがて太陽がそっとのぞきました。それからナパアラマの姿が見えないので、太陽は安心して、すっかり姿を現しました。そしてまた、けものたちをおいまわして草原をかけめぐりました。

 ナパアラマは、太陽が近くにくるまで、しんぼう強くまちました。そしていよいよ太陽が狩りにむちゅうになって、ナパアラマのすぐそばをかけぬけようとしたとき、すっくと姿を現し、太陽めがけて矢を放ちました。矢はふかく大要の心臓をつらぬきました。太陽は血を流しながら、西の地のはてまでに逃げっていって沈んでしまいました。

 家で心配しながらまっていたお母さんは、ナパアラマのおいていった器が、ひとりでに動くのを見て、ほっと安心しました。

 「ああ、よかった。うまくいったんだわ。」

 お母さんは喜んで、ナパアラマにいわれたとおり、おもちをどっさりついて、ナパアラマの帰りをまちました。

 子のときから、太陽は天にひとつになりました。一日に昼と夜の区別ができて、人々は昼間働き、くらい夜にはぐっすりとねむることができるようになりました。

 ナパアラマにうたれた太陽は、すっかり、血を流しつくして青ざめてしまい、それからは夜にこの世を照らす月になったということです。

2008年7月15日火曜日

猿になった我儘娘

 昔ある処に、劉金水と云う、大地主で金満家がありました。金水は、至って正直な律義者、親譲りの資産を大切に護っているばかりでなく、こんな大家の旦那にも似ず、家の者達と一緒になって、骨身を惜まずいつも働いていることです。そして、土地の人達には情をかけ、村の事にも何かと世話を焼き、貧乏な者は救ってやると云う風ですから、なかなか評判も好く、みんなから慕われておりました。

 ある年の秋、丁度菊の花の咲く頃のことでした。金水は自分の誕生祝と菊見とを兼ねて、酒もりを催すことにして、親戚や知人にそれぞれ案内状を出しました。やがてその日が来ました。定の時刻になると、招待された人達は、みんな晴やかな顔をして大勢集って来ました。広いお庭も部屋部屋も美しく飾りたてられていて、彼方此方に置いてある卓には、いろいろのご馳走が山のように盛り上げられ、その上お庭の一隅には、余興の舞台が設けられているという具合で、何一つとして足らないものはありません。

 饗宴は賑かに始められました。ご馳走もおいしければ余興の芝居も大層面白い、もうこの上何も言う処はありません。笑ったり食べたり話したり、お客達はみんなもう恐悦です。ところがこの酒宴のまつ最中、何処をどうして紛れ込んだものか、痩せ衰えた一人の乞食爺が、杖に縋りながらとぼとぼと汚い姿を現わしました。そしてぴょこぴょこ頭を下げては恵みを乞うて廻りはじめました。お客は、みんな気味を悪がって対手にならず、家の者は忙しいので、そんな事にはちょっとも気がつかないでいたので、誰もこの乞食を逐い拂うものもありませんでした。乞食はそれをいいことにして、のこのこと奥の方へはいって行きました。其処ではこの家の娘が、友達と楽しそうに話をしておりましたが、不意に乞食爺が姿を現わしたので、娘はびっくりして叫びました。

 『まあ厭だ。お前何しに来たの。さあ、彼方へお出で、此処はお前なんかの来る所じゃないよ。何て汚い乞食爺だろう。とっとと出て行くんだよ』

 けれど乞食は、なかなか出て行くような気色は見えません。にやりにやりと笑いながら頭を下げて、

 『お願いでございます、わたくしはまだ今朝から何も食べていないので、お腹が空いて堪りません。どうぞ残飯でも一杯戴かして下さいまし……』と、震える微かな声で憐れみを乞いました。すると娘は、

 『何言ってるの、此処にはお前にやるものなんかありやしないよ』と声を荒らげて叱りつけました。『さあ、早く出て行け。そんな汚い姿をして、お客さま方に失礼じゃないか。何を愚図愚図しているの。出て行けと云ったらお行き』

 『でもございましょうが、わたくしは今朝から……』

 『お前のお腹が空いていようといまいと、そんなことわたしの知った事じゃないよ。何も云わずに出て行くんだよ』こう言いながら娘がとんと突くと、乞食はばたばたとそこへ倒れてしまいました。すると娘は側にいた犬を嗾かけました。

 娘には突き倒され、その上犬にまで噛みつかれた乞食爺は、痛さを堪えながら起き上ると、また杖に縋ってとぼとぼと門の方へ出てきました。そして歩きながら、

 『あああ、大家で我儘に育ったお嬢さんにも困ったものだ。親にも似ない鬼子だな。こんな真似をしていりゃ、末にはきっと悪い報いが来るにきまっている。考えてみりゃ可哀そうなものだなあ』と、独言を言いました。

 丁度その時、乞食はまだ年の若い一人の娘が布呂敷を抱えて、急ぎ足に門を入ろうとしているのにぱったり出遭いました。娘は、「まあ、気味の悪い。薄汚い乞食だこと」とでもいうような顔をして、そのまま門を入って行こうとしましたが、何と思ったのか、ふと立ちとまって、

 『お爺さん』と声をかけました。そして乞食の傍へ後戻りして、『まあお前さん、どうしたの。ほら、こんなに血が出ているじゃないの。ひどく痛むの』と、優しく云いながら、手拍を裂いて血の出ている処を縛ってやりました。

 『ご親切に有難うございます。何とお礼の申しようもございません。それにひきかえこの家のお嬢さんは、何という酷いお方でございましょう』こう言って、乞食は先刻の出来事をすっかり話しました。

 『まあ、家のお嬢様が……』それをすっかり聞いた娘は、こう云って驚きました。そして、朝からご飯を食べないのでは、さぞお腹が空いたろう。一時凌ぎにこれでもお食がりなさいと、手に持っていた紙包みのお菓子をくれました。この娘は劉の家の女中だったのです。

 『それじゃ、折角ですから、一つだけ戴きましょう。どうも有難うございます』

 『いいのよ、そんなこと言わないで、みんなお食がり』

 『でも、わたくしがみんな戴きましては、あなたのがなくなってしまいます』

 『そんな心配はいらないわ。わたしは家へ帰りさえすりゃ、何でも食べるものはあるんだから……それじゃ大事にお行きなさいよ』娘はこう言い残して行きかけました。すると乞食は、

『待て、娘』と、今までとはうって変った態度で呼び止めました。『そなたにわたしが何と見える。ただの乞食爺としか思えないか』

 言うことが余り不意なので、娘は驚いてしまって、暫くは言葉もなく、乞食爺の顔を見つめておりました。

 乞食はにっこり笑って言葉を次ぎました。

 『余り不意なので、さぞ驚いたことだろう。実を言うとわしはな、この村の者が日頃信仰している月老爺じゃ。いやそんなに驚かなくてもいい。わしは時々こういう姿をして、世の中の善人や悪人を調べて歩くのじゃ』

 これを聞いた娘は、そのままそこに平伏してしまいました。それもその筈で、月老爺と言うのは、そこから程遠くない処の廟に祭ってある神様なのです。乞食はなおも言葉を次いで言いました。

 『お前は実に美しい優しい心を持っている。人間は誰でもみんなそうなくではならん。悪いことをすれば悪い報が来るように、善い事をすれば、きっと善い報が来るのじゃ。お前は今日わしに大変親切にしてくれた。そのお礼に、わしはお前の顔を心の通り美しい顔にしてやろう』こう云って、乞食爺は懐から美しい布に包んだ団扇のようなものを取り出して、心のうちで何か呪文を唱えながら、その団扇で女の顔を煽ぎはじめました。が、やがてそれもすんだものと見えて、

『さあ、これで可い、美しい女になった。これからも決して今の心がけを失ってはならぬぞ』と云ったかと思うと、不思議やその姿は、煙の如く消え失せてしまいました。

 後に取り残された女は、まるで狐にでも魅まれたような気がして、暫くはそのままぼんやりしていましたが、やがて屋敷の中へ入って行きました。そして向うからお嬢様がお伴も連れず、たった一人で此方へ来るのに逢いました。そこで娘は、

 『おやお嬢様、お一人で何処へおいで遊ばすんでございます』と声をかけました。すると、相手は娘の顔をさも不審そうにじろじろと覗きこみながら、いかにも丁寧な調子で、

 『はい、ちょっと其処まで。でもあなたは何誰でございましたから知ら。ついお見それ申しまして』と言いました。

 『まあお嬢様、お揶揄ひ遊ばしては厭でございます。わたくしは梅白ではございませんか』

 『梅白様とおっしゃるのでございますか。どこのお嬢様だったか、どうしても思い出せませんが』

 『あの長年あなた様のお家にご奉公申して居ます李氏梅白でございますよ』

 『まあ、あの梅白だったの』お嬢様はやっと気がつくと、驚いてこう叫びました。『わたしすっかり人違いしていたわ、それにしてもお前どうしてそんなに美しくなったの』

 梅白もこれを聞いて、それではさっきの乞食の言ったことが本当だったのか、とやっと気がつきました。そしてさっきのことを、手短にお嬢さんに話してきかせました。さあ、お嬢さんは羨ましくてたまりません。

 『あれほど不縹緻だった李氏梅白さえ、あんなに美しくなれたんだもの、もしわたしがお願いしたら、どんな美しい女になれるだろう』こう考えるともう矢も楯もたまらなくなって来ました。そしてたった今その乞食を酷い目に合したことなどとんと忘れてしまって、

 『うさだ、わたしも行って、一つお願いしてみよう』と一人ごちて、すぐさま出かけることにしました。

 根が我儘者のことですから、お客様が大勢来ていようが、家の人が日を更えてはと言って止めようが、そんなことには一向頓着ありません。もう日暮に近い道をたった一人どんどん急いで、たうとう月老爺の祀ってある廟に来ました。そしていつものように礼拝紙を焼いて、香を焚き、神前に跪いて三拝九拝、切りに神に祈願をして、

 『どうぞ、わたしを美しい女にして下さいまし。李氏梅白よりもっと美しい女にして下さいまし。もしこの願いが叶えて戴けますれば、どんなお礼でもいたします』とこんな蟲のいいことを祈っておりました。すると不意に廟の奥でがたんと何か落ちたような音がしましたので、はっと思って四辺を見廻すと、見知らぬ一人の老人が、いつの間にか廟の入口に立っているのでした。頭の髪も膝のあたりまで垂れている鬚も、みんなまっ白で、その目は恐ろしいほどきらきら光っています。

 『此処へ来い』手招ぎしながら、老人は静かにこう言いました。けれど娘は何となく気おくれがして、その場に蹲ずいたまま、もじもじしておりましたが、いつまでそうしているわけにもゆかないので、恐る恐るその傍へ寄って行きました。その時老人は急に恐い顔をして、

 『ああお前だったか、今わしに願をかけたのは』と薄気味の悪い微笑を口のあたりに浮べながら言いました。

 『お前は劉の娘だったな。確かにそうだろう』

 と、いつも人からちやほやされている娘には、その言葉の調子がぐっと癪に触りました。で、

 『ああ、わたしは劉の娘だよ、それがどうしたというの?お前さんこそ誰なんだい』と、佛頂面をして突剣呑に言い放しました。

 『わしは月老爺だ。お前は家の召仕に話を聞いて来たんだな。あはは、馬鹿な娘だ』

 『お前さんが月老爺だって。可い加減な事をお言いでない、神様はそんな怖い顔をしていらっしゃいませんよ。あたし、お前さんのような老耄れ爺さんに用はないんだから、だまってひっこんでおいで』

 『用がないって。だがお前はたった今、美しい女になりたいって、わたしにあれほど頼んだじゃないか。待てよ。今すぐ望み通り美しい女にしてやるからな』

 老人はこう言いながら、傍の井戸から水を汲んで、それを口に含んだと思うと、何か呪文を唱えて娘の顔に吹きかけました。

 『あっ』不意をうたれた娘は驚いてこう叫びました。『失礼な、何をなさるんです』

 『ははは、まあ、そんなに怒るな。早く帰って鏡を見てごらん。お前の望み通り、いい女になったよ』

 老人はこう言ったと思うと、そのまま姿を消しました。娘は大急ぎで家に帰って、すぐさま自分の部屋へ駈け込んで、すぐに鏡の前に立ちましたが、その瞬間、キャッと一声叫んで、そのまま泣崩れてしまいました。それもその筈で、鏡に映った顔は美人どころか、額には深い横皺が刻まれ、口は恐ろしく前の方へ突き出ている、丁度猿その儘の顔だったのです。あまりの口惜しさに娘は顔も上げずにおいおい泣いておりました。するとこの時部屋の入口の方で、がたんという音が聞えて、誰か来たような気配がしましたので、娘はふとその方へ目を向けました。けれど人らしいものの姿も見えません。そして、そのかわりどこからともなく、皺枯れた声で、

 『これ娘、ようく聞け。その方の今の悲しみは、無慈悲にもあの乞食を逆待したその報い、月老爺の罰じゃぞ。身は大家の娘と生れながら、余り無慈悲でわが儘なので、神の怒りに触れたのじゃ。誰を恨むこともない。みんな自業自得というものじゃ』と云うのが聞えました。それでもまだ娘には、自分が悪かったのだということが分りません。ただ口惜しくて悲しいばかりで、

 『ええ、見るのも厭だ』と傍にあった鏡を取って床に叩きつけ、人に顔を見られるのが嫌なので、中から戸に錠を下して泣いておりました。

 余り長い間娘の姿が見えないので、家の人は騒ぎだしました。そして娘の部屋へ来てみますと、戸にはしっかりと鍵がかけられていて、その上中からは変な物音が聞えて来ます。これはただ事ではないというので、皆でよってたかって、やっとのことで戸をこぢ開けて見ると、前に言ったような始末です。

 『お嬢さんが猿になった。お嬢さんが猿になった』みんなこう言って騒ぎたてました。

 そこへ主人夫婦も驚いて駈け付けて、どうしたわけかといろいろに問い訊したので、娘も仕方なく今までの事を残らず物語りました。これを聞いた両親はひどく心配して、何は兎もあれと言うので、すぐさま人を月老爺の廟にやって、お詫びをさせることにしました。けれどもう後の祭でどうすることも出来ません。猿顔がもとに戻らないばかりか、その翌日からは体に長い毛が生えだして、四五日後には総身毛で埋ってしまいました。そして手掴みにして、南瓜や藷や人参などを生のままがりがり囓るという始末です。その上声なども、もう人間の声は出なくなって、ただきいきい、きいきいと鳴くばかりです。そして人間が近づくと大変恐れて、歯を剥き出しながら逃げ廻るので、手のつけようがありません。両親の失望落胆は言うまでもありません。医者よ薬よ加治祈祷と、あらゆる手だてを講じて見ましたが、何の利き目もありません。で、しまいにはたうとう断念めてしまいました。

 家に置いては外聞も悪いからと云うので、山へ追い遣ってしまうことにしました。そしてみんなで、あっちこっちから追い廻しましたが、こうなると一層ひどく暴れ狂うばかりで、なかなか出て行こうとしません。みんなへとへとに疲れはてて、どうしたものだろうかと相談している処へ、ひよつくり姿を現わしたのは例の乞食爺でした。乞食はさも心地よさそうにからからと笑って、

 『ははあ、たうとう猿になりおったな。この猿を追い出すには、磚瓦を火に熱く灼いて、それを猿の坐る所に置くといい』と云ったと思うと、そのまますうっと煙のように消えてしまいました。で、早速その言葉通りにしますと、そうとは知らぬ猿になった娘は、暴れ疲れてその上にひょいっと坐ったから堪りません。きゃあ、と一声高く叫んで飛び上ったと思うと、裏山をさして一目散に逃げだしました。そして、それからと言うもの決して姿を見せませんでした。

 今でも台湾の山奥には、お臀の赤い猿が棲んでおりますが、これはみんなこの娘の子孫で、お臀の赤いのは、灼けた磚瓦の上に坐って火傷した痕跡が、ずっと今まで伝わっているのだと云われています。

2008年6月15日日曜日

似たもの夫婦と運

 ある山の麓の村に、二人の兄弟がありました。兄は親の命令など一つとして従ったことのない、大の怠惰者で、健強な体を持ちながら、金満家の家に生れたのを幸いに、家を外に遊びまわっているという、親泣かせの不孝者でした。ところが弟はそれにひきかえて、従順で、律義で、勤勉家で、従って親には大切に仕えるという孝行者でした。で、村の人達は、

 『同じ親を持ちながら、どうしてああも違うのだろう』と不思議がつておりました。こんな工合ですから、両親達も、弟の方には何も気にかかることもありませんでしたが、兄のことが心配でたまらないので、人知らず神様に願がけして、どうか兄の行いがよくなりますようにと祈っておりました。

 けれど兄の行いは一向改まらないばかりか、日一日と募って行くので、一層のことお嫁でも待たせたらと、ある人の世話で嫁を迎えました。ところが、この嫁さんが大層気に入って、若夫婦は睦まじく日を送ることになりました。両親もこの有様を見てやっと安心しました。けれどそれも束の間、これが世間によくある似た者夫婦というのでしょう。このお嫁さんがまた兄に劣らない怠惰者の我儘者なのです。家の事も両親のことも一向頓着せず、ただ兄と一緒になって毎日毎日遊び廻ってばかりいるのです。親達は眉を顰めて、飛んだ厄介な嫁を迎えたと後悔しました。こうなると、村の評判も次第に悪くなります。しばらくすると、弟の方もお嫁を貰いました。ところがこれはまた兄のお嫁さんとはまるで反対に正直で、従順で、親を大切にして家事万端を一人で引受けてするという働き手なのです。夫婦仲の睦まじいのは言うまでもありません。村の評判も至って好く、両親達も次第にこの弟夫婦ばかりをたよりにするようになりました。

 こうして暮しているうちに、父が重い病気に罹って床についてしまいました。母や弟夫婦は病床に昼夜詰め切りで、一生懸命介抱しておりましたが、兄の夫婦は看病どころか見舞にも来ず、相変らず一緒に遊び廻っておりました。

 『なあに、阿父の病気なんか心配するほどのことはありやしない。ただの風邪さ。それに弟の奴、いやに胡麻をすりやがって、いつも詰めっきりでいるんだから、今更おれ達が行くには及ばないさ』と、兄達夫婦はこんなことを云いあっているのでした。

 こうしている間にも、父の病気は日一日と重くなって、今は医者も匙を投げてしまいました。弟は妻に向って、

 『お父さんはもう駄目かも知れない。幾ら兄さんがだらしのない親不孝な方だって、これを聞いたならきっと駈けつけていらっしゃるだろう。またこれをお知らせするのは弟としての務めだ。お前ご苦労だが一走り兄さんのお宅まで行って来てくれないか』と云って、妻を兄の許へ使いにやりました。

 流石の兄夫婦もお父さんがもういけないと聞くと、今更のように驚き慌てて駈けつけて来ました。そしてお母さんや弟夫婦と一緒に看病に努めました。その時お父さんは、居並ぶ人々をずっと一渡り見廻して、苦しい息の下からこう言いました。

 『みんなにいろいろ世話をかけたが、今度という今度は、私ももう駄目だろう。で、お前に遺言したいと思うが、こう弱っていてはそれも難しい。それで予てから書いて置いた遺言状があるが、それを今ここでよく読んで貰いたい』こう言いながら遺言状をお母さんの手に渡しましたが、これですっかり安心したものと見えて、その儘眠るように息を引きとってしまいました。

 お母さんと弟夫婦の悲しみは筆にも紙にも尽せない程でした。けれど兄夫婦は一向平気なもので、どこを風が吹くかというような顔をしているのでした。さて、いつまで泣いていても仕方がないというので、いよいよ遺言状を披いて見ると、それにはこんなことが書いてありました。

 『財産は兄弟で二つに分けなさい。だが兄はこれから決して冗費いしないと云う誓書を弟に出して置かなければならない。それからおつ母さんは兄の許にいてどんな不幸を見るか分らないから、弟夫婦で世話をしなければならない。これだけのことをしっかりと言いつける』

 この遺言状の文句が兄の気に入らなかったことは言うまでもありません。幾ら半分貰ったところで、誓書なんか取られたんじゃ、ちっとも自由になりやしない、貰わないと同じことだ。第一長男たる自分に、たった半分というのが気に食わない。今に見ていろ、分配の日が来たら、兄の威光で弟の奴をへこまして、みんなこっちへ取りあげてやる。そうでもしなければ、今までのように暢気な真似は出来やしない、とこう考えましたが、その時は何とも言わずに家に帰りました。そして妻とも相談して、ひたすらその日の来るのを待っていました。

 さて、お父さんの葬式もすみ、家の中が片づいてしまうと、お母さんはいよいよ遺産の分配をしようと思って、兄弟の処へ使を出しました。弟達が行った時には、其処にはもう兄夫婦が頑張って、眼を光らしておりました。そしてお母さんが分配のことを口に出すが早いか、兄は横柄な口調で、

 『だが、そりゃちょっと待って貰いましょう』と言いました。『なるほどお父さんの遺言には弟と半分ずつにしろと書いてあったに相違ありません。だが、それじゃわたしは困ります、弟は兄の云うことに従わなきゃならない。これは今更言わなくつたって分りきったことです。兎に角遺産はわたしがいいように処置しますから、みんなだまってみていて下さい。それにわたしは無職なんだからお金だって随分かかりますからな』

 兄はこう勝手な理屈をつけて、おつ母さんと弟が呆れはててぼんやりしている間に、目ぼしいものはさっさと自分の方へ取りこんでしまいました。そして取るだけのものを取って終ふと、

 『それからおつ母さんですが、あなたは弟の処へ行って下さい。わたし達がお世話するといいんですが、お父さんの遺言もあることですから、残念ながらそれも出来ません』と捨白詞をのこして、後をも見ずに帰って行ってしまいました。余りのことにおつ母さんは兄の姿が見えたくなると、そのままそこに泣き伏していまいました。弟はそれを慰めて言いました。

 『まあおつ母さん、そんなに歎かないで下さい。これだけでも頂けりゃ結構ですよ。お金なんか働きさえすりや幾らでも儲かりますよ。ただで頂いたお金より、働いて儲けたお金の方が、どれだけ有難いか分りません』

 こうして弟はその日から殆ど無一物でお母さんを引き取って世話することになりました。

お金持ちの家に生まれながら、急にこう無一物になった上、おつ母さんまでも養わなければならないというのですから、弟夫婦の生活は並大抵ではありませんでした。で、弟は荷車を一台買いました。そして毎日山から薪を採って来ては、その車に積んで、町から町へ売り歩いて、やっと暮しをたてておりました。夫がこうやって一生懸命働くのですから、妻もなかなかじっとしておりません。家の仕事は言うまでもなく、間があれば賃仕事までもして夫を助け、夫婦心を合せておつ母さんに大切に仕えておりました。

 ある日のこと、弟は例の通り山へ薪を採りに行きました。そして今日はいつもになく、奥の方まで深入りしました。ところが向うの方から、何だか聞き馴れぬ物音が聞えてきましたので、ふとその方を見ますと、絵に書いてある通りの恐しい三匹の鬼が、何か話しながら自分の方へ近づいて来ているのでした。これを見た弟は吃驚仰天、すぐさま側の苦棟の樹に攀じのぼって、高い枝の繁みの中に隠れておりました。鬼どもは彼の隠れている方へ次第次第に近づいて来ます。弟はもう生きた心地もなく、恐しさにぶるぶる慄えながら、じっとその方を見つめておりました。やがて鬼どもは樹の下まで来ると、其処にある大きな岩の前に立ち塞がって、頭らしい赤鬼が

 『えい、やあ、えいえい』と大きな声で掛声をかけました。すると不思議やその岩が音もなく左右にすうつと開いて、そこには大きな洞穴が見えだしました。その時青鬼と黒鬼はちょっと向うの方へ走って行きましたが、しばらくすると、何処から持って来たのか、重そうな、大きな包を肩に担いで来て、その洞穴の中に運び込みました。そして幾度も幾度もそんなことを繰り返していましたが、やがて、

 『さあさあこれでいい、当分此処に蔵って置くことにしよう』と云って、鬼どもは帰って行きました。

 この様子を残らず見ていた弟は、鬼どもの立ち去ったのを見すまして、樹から下りて来ました。そして洞穴の前に立って、

 『えい、やあ、えいえい』と鬼の言った通りを冗談半分に言ってみました。すると扉がすうつと開きましたので、彼はこわいもの見たさに恐る恐る中へ入って行きました。見ると、そこには金や銀を入れた袋が山のように積み重ねてあって、その上には、

 『この金銀は総て正直にしてよく働く者に遣すものなり』と書いた紙片がそえてありました。これを見た弟は、

 『ふうん、じゃ私が貰っても別に差支えない筈だな』と一人ごちました。そして大急ぎで家へ駈けつけて例の荷車を曳いて山にとって返し、金や銀の包を積めるだけ車に積み込んで、我が家へ持って帰りましたが、だまって持って行っては悪いと思ったので、洞穴へは、

 『これは私が貰います。陳芳徳』と書いた紙片を残して置きました。車の上に山のように積んだ金や銀の包を見た時の母と妻の驚きと喜びは言うまでもありません。すぐさま家の中へ持込んで、幾らあるか勘定してみようということになりました。けれども何しろ、山のようにあるお金のことですから、一つ一つ数えていたのではとてもおつつきません。そこで、一つ秤で量ってみようということになって、弟はすぐさま兄の家へ秤を借りに行きました。そして今日の出来事をすっかり話して、秤を貸して貰いたいと頼みました。さあ、それを聞いた兄は羨ましくてたまりません。

 『それじゃおれもお前と一緒に行ってみよう』というので、弟の家へやって来ましたが、見れば弟の狭い家の中はお金がいっぱいで、足の入れ場所もない程です。これを見てはもうじっとしてはおられません。兄はすぐさま我が家へ飛んで帰り、妻にこの事を話して、これからすぐにも行って、自分も金銀を拾って来ると言いましたが、その時もう日の暮に間もないことでしたから、心ならずも明日まで延ばすことにしました。

 さて、翌る日になると、この怠け者で慾ばりの兄は、朝暗いうちから飛び起きて支度を整え、弟から教わった山をさして出かけました。来て見ると、成る程そこには大きな岩の扉があります。

 『ははあ、これだな』兄はこう呟いて、『えい、やあ、えいえい』と弟に教わった通り掛声を二度繰り返してかけますと、案の定、扉はすぐに開きました。兄はもう夢中です。中に飛び込むが早いか、なるべく大きそうな、なるべく重そうな袋をひつ担ぎ、えっちらおっちら扉口の方へ出て来ました。

 『ふん、こうやって晩まで運びや、弟の奴なんか何のものかはだ』ところが大きな石の扉は、いつの間に誰が閉めたのか閉まっていて、押せども引けども開かばこそ。そうだ、あの掛声だとこう思いましたが、扉が閉まっていたのにあんまり驚いたので、その拍子に肝心の掛声をすっかり忘れてしまって、いくら考えてみても、どうしても思い出せません。流石の兄もこれには弱ってしまいました。それでもはじめのうちはまだ、何とかして扉は開かないだろうか、他に出口はないだろうか、あの掛声はどうだつけなと、気違いのようになって走り廻ったり考え込んだりしておりましたが、しまいには精も根も尽き果てて、その場にどっかり坐り込んでしまいました。

 暫くすると扉の表の方が、何となく騒々しくなって来ました。何かがやがや話しているのですが、みんな聞き馴れない声ばかりで、何を言っているのかさっぱり分りません。兄は怖ろしさにぶるぶる慄いながら、小さくなっておりますと、やがて外では例の掛声がして扉が開きました。そして、洞穴の中へ入って来たのは見るも恐ろしい三匹の鬼でした。くんくん鼻を鳴らしながら、

 『今日は途中でどうも人間臭いと思ったら、こんな奴がここに入り込んでいやがる』と云って、三匹で兄を取り捲いてしまいました。

 『やい、この野郎』と中でも頭らしい赤鬼が、恐ろしい顔をして睨みつけながら、こう呶鳴りました。『不届きな奴だ、怠け者の癖をして、よくもこんな真似をしおつたな。そうだ、昨日も来てみたらお金が大分減っていた。やっぱり此奴めが盗んだに相違ない。こんな奴活かして置いては碌なことはしでかさない。さあ叩き殺してしまえ』

 『いいえ、違います。昨日のはわたくしではございません。あれはわたくしの弟で。わたくしはただ盗もうと思ってはいっただけでございます。どうぞご勘弁を願います』兄はこう言って涙を流しながら言い訳しましたが、鬼どもはそんなことは耳にもかけず、たうとう叩き殺してしまいました。山でこんな大騒動が持ち上っておろうとは夢にも知らぬ嫂は、今にも夫が、金や銀を車に山のように積んで帰ってくるだろうと、その帰りを待ち詫びていましたが、いつまで待っても帰ってきません。夜になっても、翌る日になっても帰ってきません。で、たうとう心配で堪らなくなって弟の家へかけつけ、これこれしかじかと一部一什を話しました。

 『これは大変だ』というので嫂はすぐに弟をつれて例の山へ急ぎました。行って見るとどうでしょう。前にあった洞穴など今は痕跡もなく、そこには兄の死骸が捨ててあるばかりでした。嫂は死骸にとり縋って泣き沈みました。しかし、今となってはどうすることも出来ません。弟は死骸を背負って、自分の家へ持って帰り、自分の手で懇ろに葬ってやりました。その時分もう兄の家では、あれほど無法なことをして手に入れた父の遺産も、有るが儘に費い果たした罰で、無一文の状態になっていたのです。で、生き残った嫂は、その日から路頭に迷わなければならなくなりました。そこで善人揃の弟夫婦は、この哀れな嫂を自分の家に引き取って世話をすることにしました。

 これから暫くたったある日のことでした。親戚のある家にお祝い事があって、おつ母さんが招ばれて行くことになりました。けれどおつ母さんは老人のことだから、代理として弟の嫁に行ってくれるように頼みました。

弟の嫁は出かけて行きました。行って見るとその家では大変な御馳走でしたが、弟の嫁は淑やかにその席に列しているだけで、どの御馳走にも一向箸をつけようとしません。で、それと見た向うの人が不審に思って、

 『如何でございます。何かお一つ召上って下さいませんか。どうもお口には合いますまいが』と云いました。けれど嫁はただ、

 『有難うございます』と会釈したばかりで、やっぱり箸を取りません。

 『まあ、どうなすったんでございます。どうぞご遠慮なさらないで』その時弟の嫁は恥かしそうに向うの人にまたこういいました。

 『はい、有難うございますが、今日は母の名代でお邪魔をいたしております、それだのにわたし一人で、こんな結構な御馳走を頂戴しては、何だか母に済まない気がいたしますので』と云いました。これを聞いた向うの夫婦は、すっかり感心してしまって、

 『まあ、そうでございましたが、いつもながら、あなたのお心がけには恐れ入りました。お母さまの分は別にお土産にして差上げますから、どうぞお気遣なさらず、何なりとお好きなものを召上って下さい』と云いました。そこで弟の嫁はやっと箸を手にしました。

 やがて宴が果てると、弟の嫁は主人始め家の人々に丁寧にお礼を言って、御母様へのお土産包を手にして帰途に就きました。ところが途中に一つの小溝がありましたので、それを飛び越そうとした拍子に手がすべって、折角のお土産を溝の中に落しました。

 『あっ』と驚きましたが後の祭、仕方なしに溝の中から包を拾い上げて、『まあとんだことをしてしまった。これでは折角のお土産もだいなしだ』と一人ごちました。が、ふと見るとすぐ傍を綺麗な水が流れておりますので、汚れたご馳走をそこで出来るだけ清潔に洗って、それを持って帰って、おつ母さんにおすすめしました。おつ母さんはこれが一度溝に落ちたご馳走だろうとは知らずに、大層喜んで、さもおいしそうに食べはじめました。するとこの時、今まで晴れ渡っていた空が俄に掻き曇って、大粒の雨がばらばらと降り出し、それと一緒に恐ろしい雷鳴さえも轟きはじめました。さあ、弟の嫁は気が気ではありません。

 『大変なことになってしまった。途中で自分があんな事をして、それをおつ母さんにだまっていたので、神様のお怒りに触れて、こんなことになったに相違ない。いよいよ天罰があたるだろう』と、しばらくの間は独り心を痛めておりましたが、やがて決心して空を拝みながら言いました。

 『わたくしが天罰で雷に打ち殺されるのは仕方がございません。けれどちょっと待って下さい。此処にはおつ母さんがいらっしゃいます。わたくしのためにお母さんを殺しては、重ね重ね不孝になりますから』そしてすぐさま表へ飛び出して、雨の中を大急ぎで一本の大きな樟樹の下へ駈け込みました。その途端、一際激しい雷鳴が轟き渡ったと思うと、めりめりと激しい音がして、さしも大きな樟樹がまつ二つに裂けてしまいました。けれど不思議にも弟の妻の体には何の異状もありませんでした。そればかりか裂けた樹の幹の中からは、金や銀がざくざくするほど現われて来ました。その時何処からともなく声があって、

 『神は汝の善根孝心を愛めて、この金銀を与えるものなり。疑わず持ち帰れよ』と云うのが聞えました。弟の妻の喜びは譬えようもないほどです。早速我が家へ持って帰り、前からの一部始終をおつ母さんや良人に話してみんなで喜びあいました。

 こうして弟夫婦一家は、日一日と富み栄えて行きました。これを傍で見ていた例の嫂は、どうも羨ましくて堪りません。何とか自分にもこういう幸運が向いて来ないものだろうかと、その機会の来るのを只管待っておりました。暫くすると、たうとうその時がやって来ました。またおつ母さんが懇意な家から招かれて、今度は自分がその名代で行くことになったのです。胸に一物ある嫂は、向うへ行ってもなかなか箸をとりません。そして、弟嫁の言った通りを言って、帰る時にはお誂え通りおつ母さんへのお土産を包んで貰いました。で、

 『よしよし。これで何もかも都合よくゆきそうだわい』と心の中で喜びながらその家を出ましたが、途中まで来ると態々小溝の中へ包を落し、それをきれいな水で洗って、家へ持って帰って、おつ母さんに食べさせました。するとこれもやっぱり前と同じように、俄かに雷が鳴りはためきはじめました。嫂は心の底で、

 『いよいよ思う壺だわい』と喜びながらも、わざと神妙な顔をして、弟嫁と同様天を拝して、『此処に落雷されてはおつ母さんが驚いて死んでおしまいです、わたくしをお殺しになるのでしたら、どうぞ暫く待って下さい』と言って表へ飛び出し、一本の榕樹の下に走り込みました。すると、その時、一際大きな雷が鳴りはためいたかと思う間もなく、嫂の注文通り、その榕樹に落ちてくれました。けれど樹が裂けるのと一緒に、自分も敢ない最期を遂げてしまいました。

 弟夫婦はその後も母を大切にし、次第に富み栄えて、しまいには父にも優るお金持になりました。

2008年5月15日木曜日

生蕃と南洋のお姫様

 随分大昔のことです。南洋のある島に王様と王妃様とが住んでおられました。お二人の間には花のように美しい一人のお姫様がありました。お二人がそのお姫様をお可愛がりになることといったら、目の中へ入れても痛くないというほどでした。お姫様はこうした御両親の愛に包まれながら、すくすくと成長してゆかれましたが、大きくなるに連れて次第にその美しさは増すばかりでした。

 ところがある年のこと、この島に悪い病気が流行りだしました、そして恐ろしい勢で蔓延して、島人は毎日幾人となく、ばたりばたり死んでゆきます。島人達はすっかり脅えて、神様の加護を祈り、お医者さんというお医者さんは、みんな必死となって働きましたが、その効もなく病気は益々勢を増すばかりでした。そしてたうとう王様の御殿にまで侵入して来て、大切な大切なお姫様がその病気にとりつかれて、ばったり床についておしまいになったのです。さあ王様ご夫婦は大変なご心配です。医者よ薬よ、加持祈祷と、気も狂うばかり、寝食を忘れて介抱なさいましたが、病気は次第に重るばかりでした。今までは幸福で華やかだった御殿の中は、急に火が消えたように淋しくなり、笑い声一つさえ聞えないようになってしまいました。王様御夫婦は言うまでもなく、家臣共も交代にお姫様の枕辺につききりでご介抱申し上げると言う有様でした。いかなる名医の治療も加治祈祷も何の効もないのをごらんになった王様は、ある日のこと家来どもをみんな集めて、

 『何とかいい方法はないものだろうか。これという考えのあるものは、遠慮なく言ってくれ』と御相談なさいました。けれど家来どもはただ顔と顔を見合わすばかりで、それにお答えしようとするのは誰一人ありませんでした。この有様を見て、王様は落胆の余り、ほっと深い溜息を吐かれました。

 丁度その時、ご殿のお庭先には、ふたんから王様が大層可愛がっていらっしゃる一匹の犬が寝ておりましたが、王様のこのお声を聞くと、何と思ったのか急にわんわんと大きな声をして吠え出しました。で、これを聞いた王様は、どうしたのだろうと思いながら、ご自分で縁先に出てごらんになりました。犬はさも嬉しそうに尾を振りながら、王様のお側近くすり寄って来ました。

 『おう、お前までも姫の病気を心配してくれるのか。どうだ、お前は姫の病気を癒す法を知っていないかい。知っているなら教えてくれ。もしお前が姫の命を助けてくれたら、お前を姫の婿にしてやろう』

 思案に余っていた王様は、ついうかうかとこんなことを云われました。犬はその言葉が判るのかさも嬉しそうに尾を振りながら、頭を擡げてじっと王様の顔を見つめていましたが、王様のお言葉が終るとわんと一声高く鳴いて、何処ともなく駈け去ってしまいました。王様は不思議なことがあればあるものだと思いながら、暫くはぼんやりと犬の駈け去った後を見送っていられました。

 さて、犬は何処へ行ったものか、その後暫くの間は影も見せませんでしたが、二日ほどしたある夜中頃、御殿の門前で切りに吠え立てている犬の声を、王様がお聞きつけになりました。

 『ああ、犬が帰って来た。誰か行って早く門を開けてやれ』

 やがて犬は家来の者につれられて王様の前へやって来ました、見ると何やら口に咥えているので、家来にとらせてごらんになると、それは名も知らぬ草の根でした。で、王様は場合が場合ですし、前に犬に向って云ったこともあるので、早速その草の根を煎じて、重病のお姫様に飲ませられました。ところがこれはまたどうでしょう。今が今まで命も危ぶまれていた重病が、見る見るうちによくなって、その日のうちに全快してしまいました。王様や王妃様を始めとして、家来達は夢かとばかり喜びました。そして例の犬は可愛いお姫様の命の親だというので、その日から大切に大切に飼われることになりました。

 ところがどうしたものか、犬はどんなに可愛がってみても、ちっとも嬉しそうな様子はみせません。いつも何となくうち凋れて、恨めしそうな顔をしているのです。で、家来達は不思議に思って、この由を王様に申上げました。すると王様は事もなげに笑いながら、

 『何、どんなにしてやっても犬が喜ばぬと言うのか』とおっしゃいました。『それでは奥庭へ入れて、うまい魚の肉でもやったらいいだろう』

 家来達は早速王様のお吩咐つけ通りにしました。けれど犬は矢張り、貰ったおいしいお魚や肉などには口もつけず、何か他にほしいものがあるような顔をしておりました。その様子を見ていらっしゃったお姫様は、父王様に向いて言われました。

 『お父さま、あなたはもしお前が私の病気を癒してくれたら、私をお嫁にやると、この犬にお約束なすったそうでございますね。で、犬は私のお婿さんになろうと思って、こんなにしているのでございましょう。私もこの犬の力で危うい生命を助ったのですから、もしお父さまのお許があれば、私はあの犬の妻になってやりましょう』

 王様はこれを聞くと吃驚しておしまいになりました。

 『何を馬鹿な事を云うのじゃ。幾ら小さな島とは言いながら、それを支配している王の姫を、畜生のお嫁になどどうしてやれるものか。あの時ああ言ったのは、その場の冗談だよ。どうしたってそんな事は出来ない』けれど心の正しいお姫様は、なかなか承知なさいません。

 『いいえお父さま、それはいけないと思います。私だってすき好んで畜生のお嫁になりたいとは思いません。けれどかりにも王様のお父様が、ご自分からお約束を反古になされては、人民どもへの聞えもどうかと思います。私はもう決心をいたしました』

 お姫様は決心の色を面に表わしてこう云われました。そこで王様も仕方なく、お姫様の言葉通りにすることになさいました。そして犬に向って、

 『これ、お前も定めし聞いたであろう、姫の殊勝の志にめでて、お前の妻にやることにする。畜生とは云いながら、お前は姫にとって命の親、どうか末長く仲良く暮してくれ。さあ、これでお前も満足しただろう。何とか沙汰をするまで外へ出て持っておれ』とおっしゃいました。犬はさも嬉しそうにいそいそとして表の方へ出て行きました。

 傍にいてさっきからの様子を見ていらっしゃったお姫様は、犬の姿が見えなくなると一緒に、そのままそこへ泣き沈んでおしまいになりました。その時お姫様は父王様に向って、またこんなことをおっしゃいました。

 『あの父上、私が畜生のお嫁になったということが、もし世間に知れましたら、それこそお父様達の恥ばかりではなく、先祖に対しても誠に申し訳ないこと、ひいては島中の騒動になるかも知れません。で、どうか私共に船を一艘頂かせて下さいまし。私共はそれに乗って、どこか遠い島へでも行って、そこで暮したいと存じます』

 可愛くてたまらないお姫様を、このまま手放してしまうということは、王様や王妃様にとって、身を切られるように悲しい事でした。けれどお姫様のおっしゃることにも一理あるので、仕方なくこの申出を許し、早速船を造らせることになさいました。さていよいよその新造船も出来ると、その中には色々の食糧品や道具など積み込み、夜中になるのを待って、お姫様は犬と一緒に、どこをあてともなく広い広い海の中に出てしまいました。浜辺では王様御夫婦が近侍の人々と共に、久しい間、船の影が見えなくなってしまうまで、涙に咽びながら、もう永久に逢うことの出来ない、愛しいお姫様の船出を見送っていらっしゃいました。

 お姫様の乗った船は、それから幾十日かの間、広い海の上を漂いておりましたが、そのうちに潮流の加減で、たうとう可成り大きな一つの島に流れ着きました。その時分そこはまだ名も何もなく無人島でしたが、それが今の台湾だったのです。お姫様は犬と一緒にそこへ上陸して、小さな小屋を建てて住むことになさいました。そして穀物を蒔いたり果樹を植えたりして、睦まじく暮していらっしゃるうちに、年は一年二年と過ぎてゆきました。そしてお姫様はその間に二人の男児と一人の女児をお生みになりました。こうして淋しい中にも楽しい生活は過ぎてゆきました。時々は故郷のことを思い出して、悲しくなるようなこともありましたが、三人の子供達が一日一日と成人してゆくのを見ていると、そんなことはすっかり忘れてしまうのでした。そのうちに犬は死んでしまいました。今では子供達もすっかり成人して、立派な息子と娘になりました。ところがある日のこと、一人の息子がお母さんに向って、

 『ねえ、おつ母さん。私達のお父さんはどうなすったんです?』と不意にこんなことを訊ね始めました。

 『お父さんかい。お父さんはね、お前達がまだ小さい時分、亡くなっておしまいになったんだよ』

 『そう。じゃ、お父さんの名は何と云って、どんな方だったの』もう一人の息子がこう訊ねました。これには流石のおつ母さんも困っておしまいになりました。そして、自分が病気になった時からのことを、泣く泣く話してお聞かせになりました。

 これを聞いた二人の兄弟は、驚き悲しみました。

 『ああ、私達は姿こそ人間だが、お父さんは犬なんて、そんな恥かしいことがあるものか。もうここにこうしてはいられない』とこんなことを云いだして、おつ母さんが止めるのも聞かず、たうとう家を飛び出してしまいました。そして足に任せて北へ北へと進みましたが、今の台中の辺りまで来た時、二人はそこに足をとめて住むことになりました。で、二人の兄弟は川や海へ行って魚を捕ったり、山へ行って狩をしたり、木の実を採ってそれを食べたりしながら、仲睦まじく生活をつづけていました。

 さて、一方二人の兄弟にとり残されたおつ母さんの方は、どうなったでしょう。たった一人の娘を相手に淋しく暮していらっしゃいましたが、兄弟のことを思い出しては、

 『今頃はどうしているだろう、病気にでもなって苦しんでおりわすまいか、それとも悪い獣にでも食べられてしまったのではあるまいか』と、気にかからぬ時とては一刻もありませんでした。で、ある日のこと娘に向って、こうおっしゃいました。

 『ねえ、兄さん達はどうしていることだろうね。私もだんだん年は寄って来るし、もし今どうこうということがあったら、定めしお前が困ることだろう。どうだい、一奮発して、兄さん達の行方を捜しに出かけようじゃないか』これを聞いた娘は大層喜びました。そしてすぐに出かけようと言うことに話が決まりました。けれどこのままの姿で行ってはどうせ怒って出て行った兄さん達、きっと逢ってはくれないだろう。何とか姿を変えて行かなければなるまいと云うので、色々に思案した末、或木の葉の汁で、二人とも口の辺りに丁度鳥の嘴のような入墨をして出かけることにしました。旅の用意をすっかり備え、二人はいよいよ出発しました。そして山を越え谷を渡って北へ北へと進んでいましたが、何しろおつ母さんは年が年ですし、そこへ艱難辛苦の旅が続いたものですから、たうとう重い病気に罹って、動けなくなってしまいました。そして娘の手厚い介抱の効もなく、たうとう死んでしまいました。

 娘の悲しみは言うまでもありません。これから先どうしたものかと暫く途方に暮れておりましたが、といって、他に相談する人とては誰もないので、泣く泣く穴を掘っておつ母さんの遺骸をそこに葬り、懇にその霊を吊いました。娘にはそれからまた長い一人旅が続きました。どこと言って探すあてはないのですから、広い台湾の島中を足に任せてあちらこちらと歩き廻っては、夜になると、木の下や岩の陰などに寝るのでした。こうした悲しい旅行がそれから幾日か続いたある日のこと、娘は一つの深い山の中に分け入っていましたが、自分とはさして遠くも離れていない処で、一生懸命働いている二人の男の姿がふと目に入りました。もとより無人島のこと、ほかに人気のあらう筈はありません。日頃から訪ね捜しているお兄さん達に相違ないと、娘は心を躍らせながら、その方へ近づいて行きました。そして、

 『あなた達は私の兄さんではありませんか』と声をかけました。二人の男は知らぬ女から、兄さんではありませんかと声をかけられて吃驚しながら、

 『そういうお前さんは誰なんだい』と訊ね返しました。そこで、娘は今までの詳しい話しをして、お母さんから貰った遣みの品を出して見せました。

 『なる程、私達には一人の妹があった。それじゃお前がその妹だったのか』三人はこう言って互いに手を取りあって、暫くの間は言葉もなく泣いておりました。そして、これからは三人で仲良く暮そうと、連れだって帰りました。ところがここに困ったことが起りました。というのはほかでもありません。何しろ人間といっては三人よりほかにいないのですから、兄さん達は二人とも自分の妹をお嫁にしようと思って、喧嘩をはじめてしまったのです。大きい兄さんの方が、

 『おれは兄なのだからおれが取るのがあたりまえだ』と言えば、小さい方も敗けてはおらず、

 『いや、それは違う。妹ははじめて会った時私に先に声をかけたのだからわしのものだ』と言って争うのです。妹もこれには困ってしまいました。と言って、どうすることも出来ません。そのうちに二人は、ある日のことたうとう大喧嘩を始めて、その揚句弟は兄さんの前歯を打ち折ってしまいました。さあ、こうなるともう喧嘩どころではありません。弟は妹と一緒に、一生懸命兄さんの介抱に努めました。弟はその日以来今までとはうって変って、余り口数もきかない淋しい人間になってしまいました。一時の怒りからたった一人の兄さんに大怪我をさせた自分の罪が、考えれば考えるほど恐しくてたまらなかったのです。こうしてまた幾日か過ぎました。ところがある日のこと、この弟の姿が不意に見えなくなってしまいました。兄と妹は心配してあちらこちらと捜しまわって、一本の樟樹の下で自殺している弟の骸を見つけだしました。やがてこの兄と妹は夫婦になって、楽しく睦まじい家庭をつくりました。これが今、台湾の或地方に住んでいる生蕃人の祖先だということです。ですから今でも生蕃人が結婚する時には、男は前歯を一本抜き取り、女は口の辺に烏の嘴のような格好の入墨をする風習が伝わっているのだそうです。

2008年4月15日火曜日

甦った花嫁と盗人

 昔ある所に、一人の花嫁さんがありました。若くて美しく、まことに淑かで、嫁入り先の家の人は言うまでもありません、村中の人達も、いいお嫁さんだ、いいお嫁さんだと褒めぬものはなく、その評判は大したものでした。

 ところが世の中のことは、そう善いことばかりあるものではありません。この幸福に満たされた若夫婦の身上にも、飛んだ哀悲が湧き出ました。それは或る日のこと、このお婿さんの家に祝事があって、知人や村人を招いて、盛んな夜宴が催され、主客諸共歓を尽して、大層賑やかでした。花嫁も今日は主人役、それに女のことですから、姑の手伝えをして、お客の接待やら、炊事場の世話に忙しく、体を憩める暇もないくらいでした。こうして馴れないのに、身体や気を余り遣い過ぎたものですから、終いにはへとへとに疲れてしまいました。で、ちょっと一休みしようと、人に気付かれないようにそっと自分の部屋に入って、ころりと寝台の上に寝転びました。が、余程疲れていたものと見えて、いつの間にか、そのままとろとろと寝込んでしまいました。けれどお座敷の方が気にかかっていたので、暫くするとすぐに目が醒めました。そして気がついていると、ひどくお腹が空いているのです。

 『こうお腹が空いてちゃ働けやしない、何か一口食べたいな、炊事場の方へ行けば何か残っているだろう』

余りお腹が空いていたものですから、花嫁は恥しいことも忘れて、炊事場の方へ行きました。幸い炊事場には誰もおりません。いい塩梅だと思いながら、四辺を見廻したが別人の来る様子もないので、すぐさま箸をとるたり、そこにあった鶏の肉を煮たお料理を大急ぎで飲み込みました。ところが、盗喰の天罰覿面、人の来ない間にと余り急いで呑み込んだものですから、鶏の骨が咽喉にひっかかってしまいました。骨はいよいよ深くささるばかりでなかなか取れません。そのうちに人でも来ては大変と、急いで自分の部屋へ隠れて、また一しきり苦心して見ましたが、どうしても取れません。痛さは痛し、心配にはなってくる、花嫁ははじめて自分のしたことを後悔しました。けれどもう後の祭、どうすることもできません。彼女はたうとう泣き出してしまいました。

 その時分、座敷の方では賑かに酒宴がはづんでおりましたが、どうしたものか、評判の花嫁が暫くその姿を見せませんので、それと氣づいて姑が、おや、嫁はどうしたんだろうと息子にそっと訊ねました。息子もそう云われてみると、嫁はもうさっきここへ姿を見せないのです。

 『じゃ、私が行って捜して来ましょう』

 『いいよいいよ、私が捜して来るから。お前は今夜の主人公なんだから、此処にいた方がいい』母子がこんなことを云いあっている所へ、下女が顔色を変えて駆け込んで来ました。

 『旦那様、大変でございます。若奥様が大変な御病気で……』と云って、自分が今、若夫婦の居間の前を通ると、部屋の中から女の呻き声が聞えるので、不思議に思って扉を開けて覗いて見ると、花嫁が四苦八苦の苦しみをしていた。で、これはてっきり急病だと思って注進に及んだのだと云い添えました。これを聞いて驚いた姑とお婿さんは、すぐさま花嫁さんの部屋へ駈付けました。見ると、なるほど下女の言った通り、花嫁は全身に油汗をかき、まっ青になって踠き苦しんでおります。お婿さんはもう氣が氣ではありません。花嫁の傍にすり寄って、

 『どうしたんだい。うん苦しいだろう、苦しいだろう。何か悪いものでも食べたんじゃないか』と、肩のあたりを撫でてやりながら優しく訊ねました。そこで花嫁も仕方なく、余りお腹が空いたので鶏肉を食べたところ、その骨が咽喉にかかって、こんなに苦しんでいるのです、と今までのことを正直に言ってしまいました。すぐにお医者が呼ばれました。

そしてこのお医者の手当で、鶏の骨はどうやらこうやら抜き取ることが出来ましたが、花嫁はそれからどつと病の床に就いたまま頭が上りません。お婿さんはじめ家の人達は大層心配して、夜の目も碌に寝ないで一生懸命看病しましたが、病気は日一日と次第に重くなってゆくばかりです。これは隠喰いなどしたので、炊事場の神様、七谷八谷の怒りに触れたものに相違ない、とこう思ったお婿さんは、日頃から信心している神様にお願がけして、毎日お詣りしては、

 『どうぞ、妻の病気をお癒し下さいますように』と言って拝んでおりました。

 けれどその効もなく、花嫁の病気は日一日と次第に重くなるばかりで、お婿さんはじめ大勢の人々の手厚い介抱を受けながら、たうとう死んでしまいました。家の人々の悲しみは言うまでもないこと、近所の人達までもその死を悲しまない者はありませんでした。中でもお婿さんの悲しみと言ったら大変なもので、到底筆にも紙にも尽されないほどでした。けれど死んでしまった者を今更幾ら悲しんだところで、生き返って来るものでもありません。せめてお葬式だけでも出来るだけ立派なものにしてやろうと、花嫁の骸には一番いい着物を着せて棺に収め、懇ろに野辺の送をすませました。こうして今まで春のように賑やかだった一家は、忽ちのうちに火の消えたような淋しさの中に閉じ込められてしまいました。

 さてそのお葬式のあった夜更けのこと、花嫁を葬った墓場の辺りを、うろうろとうろついている一人の男がありました。人目につかぬように、頭から黒い布をすっぽり被り、きょろきょろ四辺を見廻して、人の来る様子もないと見定めると、忍び足に花嫁の墓の方へ近づいて行きました。

 『何しろ名高い金満家の可愛い花嫁のお葬式だ、衣服だって、腕環や指環だって、それに頭の道具だって、定めし立派なものに相違あるめえ。長い間うめえ酒の一杯も飲めなんだが、飛んで金儲けが転げ込んだものだ』

 彼はこう、独言を云って、にやりと笑いました。言わずと知れた墓発きの盗人です。彼は凄い眼をしてもう一度四辺をぎろりと見廻わし、

 『さあ、ぼつぼつ仕事にかかるかな』とまた独言を言って、花嫁を埋めてある所をざくりざくりと掘りはじめました。やがて土を掘り除けてしまうと、中からは今日埋められたばかりの、新しい棺が出て来ました。盗人は縛ってある縄に手をかけて、力一ぱいやっと棺を穴の外へ持出しました。そして蓋を開けて見ると、中には立派な衣裳をつけた美しい花嫁が、まるで眠っているように横たわっています。盗人は大喜び、早速きものを剥ぎ取りにかかりましたが、すぐにきやつと言って飛び退きました。それもその筈です。今まで静かにつむっていた死人の目が急にぱっちりと開いたのです。盗人はそのまままっ青になって、しばらくの間はぶるぶる慄えておりましたが、

 『なあに、おれの気の迷いだ。死んだ人間が目を開くなんて、そんな馬鹿なことがあっておたまりこぼしがあるものか』と勇気を振い起して、もう一度そろりそろりと死体の方へ近づいて行きました。すると今度は、死体が口をききだしたではありませんか。

 『まあお前、何をするんです』

 幾ら大胆不敵な盗人も、こうなってはたまりません。

 『やあ、幽霊だ、幽霊だ、死んだ者が口をきいた』こう叫んだまま、たうとう腰をぬかしてしまいました。そして、歯の根をがくがくいわせながら、

 『ああ、悪かった、おれが悪かった。どうか勘弁しておくんなせえ。これこの通り盗んだものはみなんお返しいたします。今日限りふっつり心を入れかえて、決して悪い了見は起しません』こう云いながら、盗んだ品を返そうと恐る恐る顔をあげて、ひょいっと向うを見ると、どうでしょう。今の今まで横たわっていた花嫁が、いつの間にか起き上って、棺のまん中にぴったり坐っているではありませんか。

 『やつ、お助け』盗人は盗んだ品を投げ出すなり、転び転び逃げ出そうとしましたが、腰がぬけているので立つことが出来ないのです。その時棺の中から花嫁が静かに声をかけました。

 『あの、ちょっと待って下さい』幾ら待てと言ったところが、こうなってから待たれるものですか。聞えないような風をして、そのままどんどん逃げ出しました。すると、花嫁は、棺の中から飛び出して来て、たうとう盗人をとり押えてしまいました。たかが病み上りの女の力で捕まえたのですから、無理に振りきって逃げれば逃げられないことはないのですが、悪い事は出来ないもので、相手は自分が悪い事をしたのを怒って化けて出た幽霊だと思い込んでいるので、もう恐ろしい一方で手も足も出ません。

 『わっしが悪かったんです。どうか勘弁しておくんなせえ。ああ、気味が悪い。わっしは幽霊が大嫌いなんです、ええもう嘘じゃありません。今日限り盗みはふっつり止めました。これからは改心して、きっと正直に働きます』と盗人はこう云って泣いて詫りました。

 『まあそう怖がるには及びません』と花嫁はやっぱり静かな声で言いました。『私は化物でも、幽霊でもないのです。それはお前さんも知っている通り、一旦は死んでこの通り棺の中へ入れられて、お葬いまでして貰いましたが、まだ寿命があったものか、墓の下に埋められているうちに、息を吹き返したのです。そこへお前さんがやって来て、衣袴を剥がろうとしてわたしの身体を動かしたものだから、そのはずみにひょいと正気に返つたです。だから私は幽霊でもなければ、鬼でも化物でもありません。安心していらっしゃい。殺しもどうもしませんから』盗人はこれを聞いてやっと胸を撫で下しました。そして、

 「さてさて不思議なことがあるものだ。こんな人の物を盗もうものなら、それこそ神罰覿面どんな酷い目に逢わされるか分らない」と思って、『もうこれからは決して悪いことはしませんから、どうぞこのままお許し下さい』と、もう一度心の底から詫りました。

 『それは何より結構です。私もこんな嬉しいことはありません』花嫁は嬉しそうにこう言いました。『人の物を盗むなんて、それほど悪いことはありません。誰も知る者はあるまいなどと思っていても、きっといつかは分るに決っています。けれど悔い改めさえすれば罪は消えます。お前さんもいまここで改心して真人間になれば、神様は許して下さるでしょう』

 花嫁はこう言って懇々と盗人を戒めました。そこでこの盗人もすっかり改心して、夜も更けていることだしするから、花嫁も背負って家まで送り届けさしてくれと頼みました。花嫁も喜んでそれを許しました。

 さて、家では、この夜死んだ花嫁のために回向してやろうと、家の人達がみんな仏間に集って、お経をあげておりました。すると夜も大分更けた時分、表の戸をとんとんと叩くものがあります。今時分一体誰が来たのだろうと、不思議に思いながら、一人が立って行って扉を開けて見ますと、そこには見も知らぬ一人の男が、若い女を背負ってつつ立っているではありませんか。

 『誰方です、そして何処からいらしったのです』取り次ぎに出た人は、ぎょっとしながらこう訊ねました。

 『はい、墓所から参りました。この方のお供をしましてな』

 これを聞くとその人はきゃっと言って奥へ飛び込みました。そしてみんなにこの由を告げました。

 『何だ、そんな馬鹿なことがあるものか』というので、みなんぞろぞろ門口の方へ出て見ました。見ればなる程、見知らぬ男が女を背負って立っています。みんなはびくびくしながら、怖る怖るその方へ近寄って行きました。その時、今まで盗人の背に負さっていた花嫁は、大急ぎでその肩から飛び下り、お婿さんの傍へ駈け寄って、

 『私でございます』とたった一言いったまま、その肩に縋りついて、嬉し泣きに泣き沈んでしまいました。

 死んで、棺に入れて葬った花嫁がその時の姿のまま、しかもこんな夜更けに帰って来たのですから、家の人はみんな、花嫁が幽霊になって帰って来たに相違ないと思って、お婿さんのほか誰一人その傍へ寄りちかうとする者はありませんでした。この様子を見た盗人は、自分の悪事をすっかり白状して、墓場での一伍一什をこまかく話して聞かせました。お婿さんはじめ、家の人達の喜びは言うまでもありません。花嫁を背負って来た盗人も、大層嬉しんで、

 『いや、難有いことだ。私の悪事がもとで、こんなお芽出たいことが持ち上るなんて、こんな嬉しいことはありません。私もこれをしほに、今日限り心を入れかえて真面目に働きます』と、涙を流しながら改心を誓いました。

 その時、お婿さんは百両の銀を赤い紙に包んで奥から持って来て、

 『これはほんの志です。妻を甦らして頂いたお礼の印です。遠慮なく受け取って下さい』と、言って盗人に与えました。

 一家にはまた前に通りの春が甦りました。そして大勢の人から羨しがられながら、幸福な一日一日が過ぎてゆきました。またお婿さんからお金を貰った盗人も、そのお金を資本に、正直に一生懸命働いて、後には立派な商人になったということです。めでたしめでたし。

2008年3月15日土曜日

足なし息子と珍魚

 昔々、ある町に李大徳と云う人がありました。この人の家は、町の旧家で、一と云って二と下らないお金持でした。その住居なども実に立派なもので、高い石塀に囲まれた広い邸内には、瓦屋根の大きな家が幾棟となく建てられている、素晴しい、まるでお城のような構で、誰が見てもお金持の大家だと一目で分るほど、それはそれは実に豪勢なものでした。ですから自然その評判は遠くまで響いていて、町の人々は、この百万長者を、李大人李大人と呼んで尊敬しておりました。

 ところが世の中は兎角儘にならないもので、お金はあり余るほどあり、人からは尊敬され、その上学問に秀でて徳高く、温厚な君子で、生れつき至って慈悲心深く、いつも善根を施しているという、何一つひのうちどころのない人でしたが、どういうものか子には大変運が悪く、長い間欲しい欲しいと思って、神様にまでお頼みした揚句、やっと天から授かった息子は可愛そうに足なしの不具者だったのです。

 李夫婦の悲しみは言うまでもありません。けれど自分達の子として生れて来た以上、それが不具者だからと云って育てぬわけにはゆきません。まして不具の子ほど可愛いのが親心の常です。夫婦の者はこれも何か自分達が前世で悪い事をした報いであろう、せめては名だけでも、いい名をつけてやろうというので、李有祥というお芽出度い名をつけて、そのまま大切に育てておりました。

 けれど町の人は誰も本当の名を言うものはなく、あれが李大人のうちの足なし息子だ、李の無足だと云っておりました。ところがそのうちにいつとはなく、本名は次第に忘れられてしまって、李無足李無足と呼ばれるようになりました。

 無足は、何の障りもなく、ずんずん成人して十五の春を迎えました。けれど立つにも坐るにも人手を借りなければ何一つ一人では出来ません。で、小さい時から傍を離れずに、何かと世話をしていた家の者が二人と、それに、いたって心優しい下女が二人、いつも彼の傍に附き添いていて、外出する時は愚か、寝るにも起るにも、始終世話をしておりました。

 『ああ。もし自分が貧乏人の子に生れていたらどうだろう、それこそ惨なもので、やれ不具者だの穀潰しだのと、厄介者扱にされるに相違ない。夫をこんなに何不足なく育てて戴くなんて、何という勿体ない事だろう』


 不具者ではありますが根が利口な李有祥は、時々こんな事を思いだしては、嬉涙に咽んでおりました。そして間さえあれば附添人達にこの話をして、有難がっておりました。ところがこの美しい親子の心持が、いつの程にか町の人達にも知れ渡って、ほんとに、あの無足さんは幸せな子だ。お父さんやおつ母さんからあんなに可愛がられて。それに無足さんも、お父さんやおつ母さんにそりゃ優しいんだそうだ。こう云う噂が町じゅうにぱっと立って、誰一人この李夫婦の美しい心を褒めぬ者とてはありませんでした。

 こんな具合ですから、家の内はいつも楽しそうな笑声や、面白い話などの中にその日を送っておりました。そのうちに無足は二十三の青年となりました。けれどやっぱり一人では動くことも出来ません。

 『自分の体がこんななので、お父さんやおつ母さんはどんなに心配しておいでだろう。このご恩は一体どんなにしたら返せるのだろう。何とかして恩報じをしたいものだ』

 前にも申しましたように、生れつき利口な無足は、この頃では明けてもくれても、ただそればかりを考えて思い悩んでおりました。ところが或夜不思議なことがもち上りました。

 無足がある夜、夜中ごろに眼を醒ましますと、枕元には今まで見たこともない白い髯を生やした老人が立っているのです。で、無足が不思議そうな顔をしてその老人を見上ると、老人はにこにこ笑らいながら、

 『お前が無足か、お前は父母に恩返しをしいたと大層心を痛めているそうじゃが、何もそう心配することはない、わしがいいことを教えて進ぜよう』と、優しく彼の側へ寄りました。『わしは神様のお使じゃ、神様がいい事を教えて下さる、わしはそれを云いにここへ来たのじゃ。心を落ちつけてよく聞くがいい。お前はここで一番奮発して、明日から旅に出るのじゃ。そうすればきっと幸運が得られる。わしの言葉を夢疑うではならないぞ』老人はこう云って、それから旅に出ればきっと親に恩返しが出来るという神様のお旨を伝えました。

 幾ら神様のお旨だと云って、言う事があんまり突拍子もないので、無足は驚き呆れて、迂散臭そうに老人を見ておりました。これはきっと自分が不具者なのをいいことにして、揶揄に来たのに相違ないとこう思ったのです。

 『でも、私はこの通り足なしの不具者ですから、どうして旅なんぞに出られましょう』無足は少し腹立たしげな様子でこう云いました。すると、老人はからから笑って、

 『ははあ、何を云うのだ、足がないから旅が出来ないと。歩かないでも轎がある、明日は奮発して轎で先ず裏山へ行くがいい、悪いことは云わず、神様のお言葉だ』こう言い終ったと思うと、老人の姿はまるで煙のように消え失せてしまいました。無足は不思議なこともあるものだと、いろいろに考え続けて、たうとうその夜は明方まですこしも睡ることが出来ませんでした。

 さてその翌日になると無足は、父親に向って、

 『お父さん、私一つお願いがあるんでございますが』と、いつもとはうって変った真面目な顔をして言いだしました。

 『お願いってどんな事だね、まあ言ってごらん。ほかならぬお前のことだもの、もしきけることだったら何でも聞いてあげるよ』お父さんは穏やかにこう訊ねました。そこで無足は昨夜起った事をすっかり話して、

 『こんな具合でございますから、どうか裏山へやって下さい』と熱心の色を顔に浮べて頼みました。

 お母さんはこれを聞くと大層心配して、

 『まあお前、何を言いなの。お前のような体でそんなことが来るものですか』と云って、すぐに反対しました。お父さんも、無足の願いが余り無法なように思われたので、苦い顔をして黙っておりました。足なしが、一人旅に出ようと云いだしたのですから、両親がびっくりしたのも無理はありません。けれども無足はなかなか思い止りません、いろいろに言って頼みます。お父さんやお母さんも優しい無足の心根はよく分っておりますが、そうかと言ってこんなに無鉄砲な願いを許すわけにもゆきません。そこでお父さんは、

 『で、お前裏山へ行って何をするつもりなんだい』と訊ねました。

 『山に行って好い土地を見つけ、そこを開墾しようと思うんです。決して御心配なさいますな。私は轎に乗ってその上から検分もしたり監督もするんです……』

 これを聞くとお父さんも無足の熱心さにやっと心を動かされて、

 『そうか、それ程お前がやりたいと思うのだったら、なる程それも好いかも知れんな』と、どうやら許してくれそうな口ぶりになって来ました。

 『それじゃ、やって下さいますか』

 『うむ、そんならまあ慰みのつもりでやってごらん』

 無足は大喜びです。すぐさま自分の部屋に帰って、大急ぎで裏山行の準備に取りかかりました。

 可愛い而も不具ものの息子が、新しく大仕事を始めようというのですから、お父さんもその資本として、銀三千元、日本で云えば三千円と云う大金を出してくれることになりました。

 無足は願望が届いた上に、お父さんの情で三千元の資本金まで貰いましたので、その翌日になると準備を整え轎に乗って、元気よく裏山をさして出かけました。ところが裏山で開墾すると云ったのは、仕方なくその時遁れに言った出鱈目で、そんなことをしようなどとは夢にも思っておりません。ただあの不思議なお爺さんの言った、「裏山へ行け、そうすれば好い事がある」という言葉を一心に信じていたのです。で、無足は四五日の間と云うもの何をするでもなく、毎日毎日、轎に揺られて裏山に出掛けては、ただ山の中を此処彼処と歩き廻っておりました。父親は無足が一向開墾を始めそうな様子もなく、ただこうして毎日出て行くのを見て、

 『おい、どうだね、何処か好い土地があったかね』と幾度も訊ねました。すると無足はその度毎に、

 『いや、なかなか好い土地がないんですよ』と答えるばかりです。そしてなおせっせと裏山行を続けておりました。するとある夜のこと、先日の老人が枕頭に立って、

 『どうじゃ、少しは旅に馴れたか』と声をかけました。無足はにっこり笑って、

 『はい、大分馴れました』と答えて、それから『お爺さんは裏山へ行けばきっと好い事があるとおっしゃいましたが、いまに一向それらしいことがありません』と云いました。すると老人は、

 『あは、は、は……』と大きな声で笑って、『まだないか、実はありや嘘なんじゃ。ただ長い旅に馴れるようにその下拵えをさせたのさ。だが今度こそ本当じゃ。東方に向って行け、少し遠いが思い切って行くのだ』こう云ったと思うと、もう姿を消してしまいました。またも老人がこんな妙なことを云いだしたので、無足の心には疑が生じました。そこで、夜が明けるのを待って両親にこのことを打ち明け、色々相談の結果、幸い、両親が豫てから深く信じている易者があるので、それを呼んで卜占をさせることになりました。すると、易者は色々卜占をやってみて、これもやっぱり東の方へ行けばきっと好い事があると断言しました。そして両親にも無足は是非旅に出した方がいいと色々にすすめて、たうとう二人を納得させました。無足もこれに力を得て、いよいよ、東の方の遠い所をさして旅立つことになりました。何しろ今度は遠方へ旅立つと云うのですから、両親も種々と心を尽して世話を焼き、附添いには無足が不断から大層気に入っている、木仔水仔という二人の忠義な僕を附けてやることにしました。そして出発の前夜には、一家打揃って、出発の心祝と、賑やかな饗宴さえ催されました。

 いよいよ出発の朝になりました。無足は殊更元気よく、

 『それでは行って参ります』と両親に暇乞をして轎に乗り、木仔水仔の二人を従えて出発しました。両親はじめ一家の人々は、みんな門の所まで出て見送りました。中でも気の弱いお母さんは、轎の側に来て、細々と道中気をつけなければならない事などを繰り返し教えながら、目には涙をいっぱいためて泣いておりました。

 さて一同に別れを告げて家を出た無足は、ただ東の方東の方とそればかりを心にかけて轎を急がせました。側に付添いている二人の家来たちも、皆目そんなことは分りません。ただあの老人と易者の言葉通り、東へ東へと進んだのです。こうして十日ばかりと云うもの、山を越え川を渋り、曠原を横切りなどして、ただ東へ東へとあてのない旅が続きました。無足はその間じゅう轎の上でただ一人、持って来た三千元の金の遣方ばかり、じっと考え込んでおりました。

 家を出てから十一日目に、轎はある一つの村に来かかりました。見るとそこには美しい一筋の小川が流れていて、その傍には一人の老人が川端に跪んで、流れる水をじっと眺めておりました。轎の中からその有様をちらりと見た無足は、轎脇に附添いて居る木仔に向って訪ねました。

 『おい木仔、あれは何をしているんだ。ほら向うの川端に老人が座っているじゃないか』

 けれど木仔にはその老人が何をしているのやら、さっぱり分りません。同僚の水仔に向って、

 『おい、あの爺さんは一体何をしているんだい』と主人と同じようなことを云って訪ねました。ところがこれもやっぱり分らないのです。三人は不思議に思って、その方へ轎を進めました。その時水仔はこの老人の傍に魚籠が置いてあるのを目早く見つけて、

 『ああ魚籠がある、爺さん釣をやっているんだな』と叫びました。木仔もそれを見て、

 『成程な。じゃあの爺さん、大方漁師なんだぜ』

 無足は其所で轎を止めさせて、木仔を何が獲れているか見に遣りました。木仔は急いで老人の方へ行きましたが、すぐに引返して来て、

 『あの爺さん、やっぱり釣をしているんです。今日は何だか珍しい魚というのが見たくなって、また老人の方へ轎を進めました。

 『お爺さん、大層ご精が出ますね』と轎が老人の傍に近づいた時、無足は笑顔を見せながら、轎の中から声をかけました。『何だか、大層珍しい魚が獲れたそうじゃありませんか、一つ私に見せて下さいませんか』

 『さあさあ、ご覧なさい。何と珍しい魚でしょうかな』老人はさも得意げにこう言いながら、魚籠を持ち上げました。それを木仔が受取って無足に見せました。無足は魚籠の中を覗き込みながら、

 『成程どうも珍しい魚ですね、一体何という魚ですかね』と訪ねました。

 『古今未曾有と云うんですよ』

 『へえ、古今未曾有と云う魚ですか。魚も珍しいが名も妙な名ですね。私はまだこんな魚は見たことも聞いたこともありません。それに書物にだってきっと載ってはおりませんよ』

 『それやそうでしょうとも、何しろこんな魚は千年に一尾か、悪くすると万年に一尾、捕れるか捕れないかと云うくらい、珍しい魚なんですからね』老人はこう言って鼻を蠢かしました。

 『珍魚を見せられて無足は、何とはなしにこの魚が欲しくてたまらなくなりました。そこで、

 『ねえお爺さん、この魚をどうするんです、どうせ売るんでしょう』とこう訪ねました。すると老人はふふんと鼻の先で笑って、

 『売ってもいいんだがね、何しろ高いものだから、失礼だが、まあお前さん方にや手が出ますまいよ』と、空嘯きました。けれど無足はそんな事など気にもかけない様子で、

 『ははあ、では私は買えないとおっしゃるんですか。で、一体幾許なんです』と笑いながらまた訊ね返しました。

 『まあまあ、お止しなさい、どうせ買えやしませんよ。値段なんか言うがもなあありませんよ』老人はこう言って、てんで対手にしようとしません。この態度にさすが温厚な無足も少しむっとして、

 『おい、お爺さん、そう見縊ったもんでもあるまいぜ。兎に角買える値段なら手を打とうじゃないか』と言いました。

 『じゃあ言うがね、安くしたところで三千五百元さ、はは驚いたろう』老人はこう云って無足の顔を見ながらにやりと笑いました。

 成程珍魚には相違ありません。けれどいくら珍魚だと云って、魚一尾が三千五百元とは……まず木仔と水仔が眼を円くしました。無足もさすがに度胆を抜かれて、

 『三千五百元だって……この魚一尾が』と思わず念を押しました。すると老人はますます得意になって、

 『そうさ、幾度言っても同じことで、安くして三千五百元さ』と大変な鼻息です。無足の懐には三千元しかありません。みんな払ってしまうとしてもまだ五百元不足です。と言ってこの儘引退がるも残念です。主人はてっきり気が違ったに相違ないと思ったのです。けれども無足はそんな事には一切お構いなしで、強情に頑張る老人をいろいろ説きつけて、到頭一尾の魚を三千元で買いとってしまいました。そしてこれでいいとばかり、大事な獲物を生簀に入れて自分と一緒に轎に載せ、意気揚々と我が家をさして帰って参りました。無事に帰った息子の姿を見た両親の喜びは言うまでもありません。それから無足は、両親に旅中の出来事を一つ残らず物語って、珍魚を手に入れたことをさも得意らしく話しましたが、お父さんはこれを聞くと、苦い顔をして黙っておりました。けれどおつ母さんが息子の帰宅をただもう無性に喜んでいるので、それに可愛い息子が好きでしたことだこうと思って、別に小言も言いませんでした。無足は久しぶりで自分の部屋に落ちつきました。そして例の珍魚を、美しい、深い、大きな鉢に入れて飼い始めましたが、それからというもの、毎日毎日その傍を少しも離れず、木仔水仔や下女を指図して、何くれとなく世話をして暮しておりました。夜は自分の部屋に持ち込んで、自分の寝台の傍に置かなければ寝ないという程の可愛がり方なのです。するとある夜中のこと、無足は誰かしら自分の枕許で優しい声で自分を呼んでいる者があるような気がして、ふと眼を醒ましました。見るとそこには例の珍魚が水の中から頭を半分ほど出して、自分を呼んでいるのです。

 『もし、若旦那さま。お願いでございますから、どうぞ私を元の川へ放して下さい。そうすればお礼としてこの珠を差上げます』珍魚はこう言いながら、一つの美しい珠を出して見せました。『この珠は、天下無類の宝珠で、もしあなたが欲しいと思いになるものがあったら、この珠に注文さえなされば何でも得られます。いいえ、決して欺すのではございません、お疑なさいますな、わたしも神もお使いでございます』こう云ったと思うと、魚は水の中に沈んでしまいました。

 その翌朝になると、無足は昨夜珍魚の云ったことを疑わず、自分は又ぞろ轎に乗り、木仔水仔を引連れて、前に来たことのある例の川に行き、珍魚をその川に放してやりました。珍魚はさも嬉しそうに水の底へ沈んで行きましたが、生簀の中には昨夜の言葉の通り、一つの珠が残って居りました。無足はその珠を家へ持って帰って、両親にこの事を話しました。けれど両親は頭からそんなことは信用しませんでした。そこで無足は、

 『では一つ試してみましょう』と、手にした珠に向って、『おい約束だ、此処へ山海の珍味を並べてくれ』と云ってみました。すると、これは不思議、何処からともなく見知らぬ人が現れて、紫檀の卓を置き、その上に大皿小皿に盛り上げた海山の珍味を並べはじめました。両親はじめ居並ぶ人々は、あまりの不思議さにただ吃驚するばかりで、口もきけない程でした。やがて一同はその御馳走で楽しい饗宴を開きました。これで両親も珠の不思議の力をすっかり信用して、その次には無足に足を貰ってはどうだと言いました。無足とてもそれがないばかりに、今迄長い間不自由していたのですから、早速足を註文しますと、これも見る間に二本の立派な足が腰の所からによきよきと生えて、生れつき不具合の無足が、忽ちのうちに立派な一人前の男になりました。本人の無足は言わずもがな、お父さんやお母さんの喜びはどうでしたらう。これもみんな無足が日頃からよく神様のお吩咐を守ったお蔭だというので、宝珠はすぐに立派な桐の箱に納めて、みんなで神様にお礼を申しました。

2008年2月15日金曜日

冬瓜息子と蘆仙人

 今でも南支那の漳州府と云う都の、城南門内には南台廟と云う廟がって、そこには青い顔をした紅鬚の神様の像が祀ってあります。この神様の像は張趙胡爺と云う神様の像で、それがこの話の主人公のです。

 昔南支那の潮州府潮陽縣と云う所から八十清里ばかり距れた所に、龍角村と云う小さな村がありました。小さいながらごく平和な村で、その村に張老児と云う人が住んで居りましたが、この人は大そう不幸な人で、子供もない上に妻にも早く死に別れてしまいました。けれど根が律義者の事とて、いろいろ言ってくれる者のあるにも気もとめず、今日が日まで長い歳月を、自分の影法師とたった二人きりの対座で、鰥生活を続けて来ました。家には多少財産もあり、貸家の四五軒も持っていますので、至極気楽にその日その日を送っておりました。ところがある年の夏のことでした。慰み半分庭の隅に植えた一本の冬瓜の苗が、何時の間にか成長して、その巻鬚が隣家の趙二郎と云う人の家の屋根にまで匐い蔓りましたので、趙から恐ろしい苦情を持ち込まれました。で張は甚く弱っておりましたが、そのうちに巻鬚はその又隣りの胡小三と云う人の家の屋根にまで匐い蔓ったものですから、今度は胡まで同じように苦情を言って来ました。張はすっかり閉口してしまって、飛んで面倒が起ったものだと、嘆息しました。

 隣家からの苦情は、なかなか手厳しいもので、人の家の屋根にまで匐い出して、迷惑をかけるような冬瓜は、どうしても切り捨てて貰はたきゃならんと言うのでした。で、張も仕方なく、折角植えてやっとこれまでに成長した冬瓜、惜しいけれども、他人に迷惑をかけるのでは、切らずに措けぬと思って、いよいよ切り捨てることに決心しました。さて翌朝張は鋏を手にして庭に出て、成長した冬瓜を惜しそうに眺め、蔓延てる巻鬚の行衛を辿って見上げると、胡の家の屋根に匐い蔓っている巻鬚の葉蔭に思いかけず大きな冬瓜が一つ生っているのが目につきました。で、張は覚えず、

 『やア冬瓜が生っているぞ、これやア珍しい』と叫んで、驚きの眼を瞠って暫時その屋根の上を見上げておりました。

 思いもよらぬ発見物に驚いた張は、これは珍しい、たとえ他人の家の屋根に生った冬瓜でも、自分が植えた木の巻鬚に生った以上、私の所得物だ、今日は切るのを止めにして、二三日経ったら獲ってやろう。大分大きいから味も甘いに違いない。と、ほくほくしておりました。するとその時、鋏の音を聞いた胡は、さては苦情を云ったので、張の奴いよいよ切ることにしたなと思って、これも庭に出て張の様子を窺うと、張は我家の屋根を見上げて切りに何か独言を云っているのです。で、胡はこれは可笑しいぞと思って、何気なく自分も屋根を見上げますと、其処に大きな冬瓜が一つ転がっているのが目につきました。これを見ると胡も思わず喜びの声を挙げて、

 『これや有難い、大きな冬瓜だ、俺の家の屋根に転がっている。これは当然おれの所得物だ』と、これも独断に自分の物として、有卦に入ってにっこりしました。

 独断で勝手に自分の所得物にしていた張と胡は、すっかりににこにこもので、その翌日からは毎日屋根を見上げて、喰い頃になる日の来るのを、心嬉しく待っておりました。するとそれから暫く経ったある日のことと、胡はまたいつものように屋根を見上げて、

 『うむ、もう喰い頃だろう、一つ取って食べるかな』と云いながら、屋根に梯子をかけ、のこのこその上に攀って、冬瓜を取り、嬉しそうに抱えて庭に下りて来ました。そして、

 『やぁ甘そうだ、有難い』と云って、窓に置いて一人で悦んでおりました。そんな事とは知らぬ張は、これももう喰い頃になっただろう、とその翌朝胡に知れないように、自分の家の屋根に梯子をかけて、そこから、屋根伝いに胡の家の屋根に来て、冬瓜を取ろうとしてふと見ると、これはまたどうした事か影も形もありません。

 『おやッ、無いぞ、おかしいな、昨日までちゃんとあったのに』と怪いみながら屋根じゅうを捜し廻りましたが、どうしてもみつかりません。不思議な事もあるものだとは思いましたが、ないものはどうにもしようがないので、ぶつぶつ不平を云いながら、わが家の庭に下りて来ました。けれどどうも不審で仕様がありません。

 ところがその後、ある用事をすましての帰途、胡の底先を通りかかってふと垣根越に見るともなく中を見ると、計らずも、その窓の上に例のなくなった冬瓜がちゃんと置いてあるではありませんか。張は吃驚して、

 『やァ、あるぞあるぞ、確かにあの冬瓜に相違ない』と覚えず声をあげました。そして垣根越に大声で、

 『おい胡さん、えらい大きな冬瓜じゃないか』と云いました。部屋の中にいる胡は、こう云われると急いで窓から顔を出したものの、呼んだ者が張なので苦い顔をしました。けれども今更隠れもならず、ただ、

 『やァ、これかね』と云ったきり、にやにや笑っていました。

 張は胡の様子と窓に冬瓜が置いてあるので、あの屋根の冬瓜はてっきり胡が取ったに違いないと思ったので、

 『おい、一体そんな冬瓜が何処にあったね、どうして手に入れたんだい』と訊ねました。すると胡は冬瓜を見ながら、

 『ああこれかい、これは俺の家の屋根に生ったのさ』と云いました。これでいよいよ胡が先越しをして取ったのだということがはっきり分りました。張は口惜しいことをしたとは思いましたものの、冬瓜は現に胡の手許にあるので、それを自分の所得物とすることは出来ません。で、これは何とか口実を設け取ってやろうと考えて、

 『おいおい、その冬瓜は私の所得物だよ』と云いながら、ずんずん庭へ這入って行きました。

 さあこうなると胡も黙ってはいられません、すぐさまそこへ飛びだして、

 『張さん、妙なことを云うじゃないか、全く冬瓜は私の家の屋根に生ったんだからね、それを私の所得物にするのは当然だろう』

 『それや成程胡さん、冬瓜はお前さんの家の屋根に生ったんだろうが、それも私が冬瓜の苗を植えたからだ、そうすれば冬瓜は私の所得物じゃないか』こう言いながら張は窓に置いてある冬瓜に手をかけようとしましたので、たうとう喧嘩になってしまいました。ところがこの喧嘩の声を聞いて出てきたのが、二人の家の間に住んでいる趙二郎です。

 『まァまァ待った』と両方を宥めて、お互いの言分をすっかり聞きとりました。それで仲裁するのかと思うとそうではありません。

 『おいおい、お前さん達が幾ら喧嘩をしてまで取ろうと思ったってそれゃいけない、その冬瓜は私の所得物さ。まァ考えて見るがいい、たとえ張さんが苗を植えたにしろ、また胡さんの家の屋根に生ったにしろ、もし私が私の家の屋根に蔓った巻鬚を切ったらどうだい。冬瓜なんぞ生るもんかね。私が丹精して巻鬚を蔓らせたからこそ生ったんだよ、そうすれば冬瓜は私の御蔭で出来たと云っても可い、だかろう私が貰うのさ』と、変な理屈をならべて自分の所得物にしようとしました。ところが二人はなかなか承知しません、この不届もの奴と云って喰ってかかったので、喧嘩はいよいよ大きくなってしまいました。

 三人は暫く喧嘩をしていましたが、やがて張は何と思ったか、急にようすを変えて、

 『おいおい、一寸待て』と手を拡げて、『どうだね、お互いに冬瓜一つで喧嘩したところで、しまいには怪我をするくらいおちだ、馬鹿馬鹿しいじゃないか。それよりも一つこうしよう、冬瓜が一つだからこそ誰が取っても工合が悪いのだ。公平に三つに分けよう、そうすれば誰を怨むということもなくなるわけだ、どうだねそうしようじゃないか』と、こういいだしました。胡も趙も初めのうちこそぐづぐづ云っていましたが、喧嘩など馬鹿げたことと気がついたのでしょう、渋々それを承知しました。そこで相談が纏まり、一つの冬瓜を公平に三つに割って、その一片ずつを取ることにきめました。

 張が発頭人でもあり、こうしたことは馴れた器用な男だと云うところから、分配役を引受けることになりました。で、すぐさまわが家に帰って庖丁を持って来て、二人の面前で冬瓜を三分しようとしました。ところが不思議な事に庖丁を入れたと思うと冬瓜の中からは、顔の青い鬚の赤い子が、ひょっこり躍り出ました。三人は、

 『あッ、赤ん坊が……』と云って吃驚仰天、意外の珍事出来に呆れ返って、ただ顔を見合せているばかりでした。けれどその後儘にして置くわけにもゆきません。

 『これは不思議だ、冬瓜の中から人間の子が躍り出すなんて、全く驚いた』と云いながら、さてこの子の始末をどう附たものかと、三人首を捻って考えましたが、頓といい思案も浮びません。これには三人とも往生してしまいました。

 『一体この子は誰の子にするんだ』最初にこう云ったのは胡小三でした。三人で争った冬瓜から生れた子なので結局は三人のうち誰か一人が引受けなければならないと思ったのです。すると張老児は見るからこの子が悧巧そうなので、幸自分は子のない鰥暮し、一層自分の子にして引取ろうと、こう考えつきました。そして、

 『ねぇ、趙さん、胡さん、どうだろう一つ相談があるんだが、と云うのはこの子さ、お互いに三つに分けようとした冬瓜から生れた子なのだから、いずれは私等で誰かが引受けることになる。どころでお前さん達も知っての通り、私は子供もない鰥だ、相続人もない事だから、私が死んだら家も自然滅びてしまうということになるのさ。でどうだね、この子を私に呉れないか、可愛がって育ててやるが……』と云いました。ところが胡はなかなか承知しません。

 『いやそれやいかんよ、この冬瓜は私の家の屋根に生ったのだし、この子はその冬瓜から生れたのだ、だからこれや私が育てるのが当然だ』こう云ってどうしても子供を張に渡そうとしません。それでまたもや喧嘩になりそうになりました。

 冬瓜なら三つにも分けられますが、人間の子ではどうもそういうわけにゆきません。それかと云って張にも渡されなければ胡にも遣れず、二人の間に入った趙はその裁きに困ってしまい、何とか名案はないかと、一人でしきりに考えておりました。すると丁度その時好い工合に、納税の催促に来る陳姚徳と云うこの村の役人が、そこを通りかかりました。これを見た趙は、これは好い処に好い人は来たものだと、早速姚徳に今までの一伍一什を話して、その裁決をつけてくれと頼みました。姚徳はその話でこの場の様子を知り、冬瓜から子が生れたのは、いかにも不思議だと思いましたが、折角頼まれるのですから、何とか始末をつけなければ、役人と云う身分の手前もあり、いやとも云えず引受けてしまいました。けれどもさしあたって名案も浮びません。暫くじっと考え込んでおりましたがさすがふだんから智慧者と云われている人だけに、やがて何か考えついたものと見えて、一人頷き、にっこり笑って三人の顔を見較べてこう申しました。

 『そうだ、冬瓜はお前達三人で分けると云ったな、それじゃ冬瓜はお前達三人のものに相違ない。であって見れば、その冬瓜の子なら、子供もやっぱりお前達三人の子じゃないか、だから誰彼の子と云わずに、お前達三人の子にするんだね。そして名も三人の家の姓を取って、張趙胡と付け、三人もやいで育ててやることにしてはどうだ。ねえ、そう定めることにしようじゃないか』こう言われては仕方がありません、姚徳の裁いた通り、子供には張趙胡と名をつけて、三人もやいで育てることになりました。

 青い顔をした、頭髪の赤い冬瓜の子張趙胡は、姿こそこんな妙な様子をしておりましたが、その悧巧なこと、元気なことと言ったら、実に素晴らしいものでした。で、三人はこの子が成人したらどんな傑物になるかも知れないと云うので、まるで競争のようにして大切に可愛がって育てましたので、張趙胡はぐんぐん壯健に育ってゆきました。それに大きくなるにつれて、その賢明くなることと言ったら驚くのほかありませんでした。これでこそ育てた効があると、三人の育親は大喜悦で末頼母しく、生みの子にも優るほど可愛がり、なほも心を砕いて育てておりました。ところが、張趙胡が十六歳になった時、折角生みの親にも劣らぬほど慈愛をかけて育ててくれた親共は、不思議にも張老児を最先に、続いて趙夫婦胡夫婦と、仮の病が因となって、次ぎから次へと死んでしまい、可哀想に張趙胡ただ一人とり遺されました。きっとこれも何かの因縁でしょう。

 孤児になった張趙胡は、淋しく此処で生活をしなければならない事になりましたが、根が賢明な少年ですから、淋しいからといって何時までも泣いているようなことはありません。子供ながら行末のことをいろいろと思いめぐらしておりました。ところがある日のこと、机に対って読書していましたが、何思ったのか、急に読書を止めて、腕組をして、じっと考えこんでしまいました。そして、

 『そうだ、もう私は一人ぼっちなんだ、何時までこんな所にいるでも仕方がない、それよりは一奮発して何処かに出かけ、うんと修業して、傑い物になろう、それが可い』と独言して、男らしくそれと決心しました。そして家事万端一人で始末した上、明日はいよいよこの土地を去って、知らぬ諸国を巡り、良い師匠を見つけようと、その日の夕方、育ててくれた親達の墓に参詣しました。

 『私は明日から旅に出て、良い師匠を尋ねて修行をいたすつもりでございます。長い間御育て下さいました御恩は決して忘れはいたしません、成業の暁には必ず御恩報じをいたしますから、暫くお暇を下さいまし、今日はそのお暇乞に参ったのでございます』と、まるで生きている親にでも云うようにこう云って暇乞いをし、やがて其処を立ち去ろうとしました。けれど流石に名残が惜しまれて、近くの丘の草原に腰を下して、今の身の上や行末の事などを、考えるともなくいろいろに思いめぐらしておりました。ところが、何時の間に来たのか、紅顔白髪の乞食姿をした、一人の老人が何処からともなくふと姿を現して、じっと張趙胡の様子を見ておりましたが、暫くするとつかつかと彼の方へ歩み寄って、

 『ああもしもし』と声をかけました。『お前さん何をそんなに考えこんでいるんだね』

 張趙胡は吃驚して、さも怪訝そうに老人の顔を見つめました。が、老人は人のよさそうな顔をしてただにこにこ笑っているのです。場所が場所だけに、さすが張趙胡も少し薄気味悪くて、すぐには返答も出来ませんでした。すると老人はまだ笑い続けながら、

 『ははア驚いたかい、これは飛んだ失礼をしたな、不意に声をかけたりして……』と気軽にこう詫びました。

 『だが、わしにはお前さんが気に入ったよ、それで声をかけもしたんだがな、まア勘弁してわしの云うことを聞くがいい。わしはこんな姿こそしているが、決して怪しい者じゃない。そら、あのずっと向うに見えるあの山に住んでいる老爺だかな。今此処へ来てお前を見ると、急にこう可愛くなってしまったのさ。だが、何をそんなに考えこんでいるんだね、一つ話してごらん、相談相手になろうじゃないか』

 優しい声でこう言われて、張趙胡の疑も幾分薄らぎました。それに見ず知らずの老人が、こんなに優しく言ってくれるので急に嬉しくなって、懐かしそうにその顔を見上げながら、

 『実は私は張趙胡と申す者ですが、かようよう次第で……』と、今日までの自分の身の上を、少しも包まず話しました。老人は時々頷きながらだまって聞いておりましたが、やがて張趙胡の語り終るのを待って、

 『それじゃつまり師匠を尋ねて旅立ちしようと云うんだな』と問い返しました。そこで、張趙胡はそうだと答えました。すると老人は、

 『そうか、お前さんが、心から修業する気なら、一つわしが教えて進ぜよう。わしは浙江の盧山王だよ。明日わしの所へ訪ねて来なさい』と云い残しておいて、張趙胡の返事も待たずに、ぶらりぶらりと何処へか立ち去ってしまいました。張趙胡はこの乞食爺さんが本当にあの名高い盧山王かしらと思いましたが、兎に角明日になったら訪ねて見ようと決心して、墓場を後に我家をさして帰りました。

 盧山王というのは、浙江の山奥に住んでいる名高い学者で、当時誰知らぬ者もないくらいの人でしたが、何しろその住家が恐ろしい山奥なので、よっぽど熱心な者でない限り、教を乞い者も至って尠かなったのです。龍角村からそこまではなかなかの遠路です。しかもその道と来たら頗る難路で、その上途中には猛獣や毒蛇が徘徊すると云うのですから、物騒この上もありません。張趙胡はそのくらいの事でびくともするような子ではありません。修業したさの一念で、山を越え川を渋り、林を通り、森を過ぎて、ある時は猛獣の吠える声を聞き、或る時は毒蛇に追われながら、日が暮れると木の下蔭や巌蔭などに夜を明かすなど、あらゆる艱難辛苦の数を尽した揚句、やっとの事で盧山王の住家に辿り着きました。けれどもその時には餓と疲れのために言葉もでないくらいに疲れはてておりました。

 『ご免下さいまし』門口まで来ると、彼は満身の勇を皷して案内を請いました。『わたくしは龍角村の張趙胡と申すものでございます、先日のお約束通り修業に参りました。先生御在宅でございますか』

 するとひょっこりそこへ姿を現したのは、先日とは変って、まるで神様のように神々しい盧山王でした。

 『おう来たか、感心感心』先生はにこにこもので大変いいご機嫌です。『大方途中で往生しただろうと思っていたが、よく来てくれた。さあ上れ』と、自分の居間に連れて行きました。そして張趙胡が途中の艱難辛苦を話すと大層感心して、

 『よしよしそうなくてはならん。これからわしが充分教えてやろう、一心に修業するんだぞ』

 手厚く歓待されて、その夜は床に入りました。

 さてその翌日になるといよいよ師弟の約束を結び、張趙胡は一生懸命修業を始めました。が、人の一心ほど恐ろしいものはありません。根が悧巧な上にまるで命がけて勉強した張趙胡は、僅四五年の間に、師の盧山王でさえ舌を捲いて驚くほどの、天晴智勇兼備の若者となりました。これならば盧山王の後継者となっても恥かしいことはありません。盧山王の満足はいうまでもないこと、いつしかこの噂が龍角村に伝って、村人は誰も彼も驚き褒めぬものはありませんでした。ところが丁度その年、漳州に一つの騒動が起きました。謀叛人が起って漳州のお城を攻めとってしまったのです。そして人民どもはその賊軍のために苦しめられると云う有様で、漳州の都は日一日と荒されてゆく一方でしたが、さて城主の為に賊と戦うと云う者は、誰一人としてありませんでした。するとその時誰から聞いて知っていたのか、城兵の一人が、

 『浙江の山奥、盧山王の処に、張趙胡と云う傑物がいるから、その人を招いてもう一合戦してみたらどうだろう』と云いだしました。そしてそれを城主に勧めたので、城主は早速盧山王の所へ使者を遣し、是非張趙胡に軍師となって、働いて貰いたいと、盧山王に頼みました。漳州の様子をよく知っている盧山王は、城主の心中を察して、一も二もなく承知しました。そこで、いよいよ張趙胡は漳州方の軍師となって働くことになり、盧山王から暫時の暇を貰って、漳州の陳屋をさして出発しました。

 漳州軍の軍師となった張趙胡は、すぐさま戦に敗れて散り散りになった城兵をとり纏め、勢い猛く賊軍を攻めつけました。年齢こそやっと二十歳の若者ですが、さすが盧山王に就いて充分に修業しただけあって、奇策縦横天晴れ無双の大将振り。率いている軍勢は疲れはてた敗兵にも拘らず、さしもに強きを誇った賊軍を、木葉微塵に買改め散らし、一度陥った城を再び取り返して、とうとう賊を一人残らずうち取ってしまいました。そして漳州府は以前の通り安泰となりました。城主始め人民達の喜びは言うまでもなく、その評判は一時にぱっと四方へ広まりました。そして漳州府の人々は張趙胡を神様のように崇めて、是非この地に止まってくれるようにと、仰まんばかりにして頼みましたけれど、張趙胡はまだ修業中だからと云って、その願望を退け、位置や名誉にも目もくれず、別れを惜しむ人々の袖を払って、再び浙江の山奥、盧山王の許へ帰って行きました。けれどその後は一生を修業にゆだねて、漳州は無論のこと、他の土地にも決して姿を現さなかったと云うことです。

 その後漳州人は、張趙胡が死んだと聞いて大層悲しみ惜しみ、この人こそ漳州人にとって命の親だ、守護の神だと云うので、護国掌教大神仙という神に祀りました。が、その後、漳州の人達は相談して、この人の恩徳をいつまでも忘れぬためにと云うので、漳州府城南門の内に一つの廟を建立しました。それが今も残っている南台廟であります。