2008年3月15日土曜日

足なし息子と珍魚

 昔々、ある町に李大徳と云う人がありました。この人の家は、町の旧家で、一と云って二と下らないお金持でした。その住居なども実に立派なもので、高い石塀に囲まれた広い邸内には、瓦屋根の大きな家が幾棟となく建てられている、素晴しい、まるでお城のような構で、誰が見てもお金持の大家だと一目で分るほど、それはそれは実に豪勢なものでした。ですから自然その評判は遠くまで響いていて、町の人々は、この百万長者を、李大人李大人と呼んで尊敬しておりました。

 ところが世の中は兎角儘にならないもので、お金はあり余るほどあり、人からは尊敬され、その上学問に秀でて徳高く、温厚な君子で、生れつき至って慈悲心深く、いつも善根を施しているという、何一つひのうちどころのない人でしたが、どういうものか子には大変運が悪く、長い間欲しい欲しいと思って、神様にまでお頼みした揚句、やっと天から授かった息子は可愛そうに足なしの不具者だったのです。

 李夫婦の悲しみは言うまでもありません。けれど自分達の子として生れて来た以上、それが不具者だからと云って育てぬわけにはゆきません。まして不具の子ほど可愛いのが親心の常です。夫婦の者はこれも何か自分達が前世で悪い事をした報いであろう、せめては名だけでも、いい名をつけてやろうというので、李有祥というお芽出度い名をつけて、そのまま大切に育てておりました。

 けれど町の人は誰も本当の名を言うものはなく、あれが李大人のうちの足なし息子だ、李の無足だと云っておりました。ところがそのうちにいつとはなく、本名は次第に忘れられてしまって、李無足李無足と呼ばれるようになりました。

 無足は、何の障りもなく、ずんずん成人して十五の春を迎えました。けれど立つにも坐るにも人手を借りなければ何一つ一人では出来ません。で、小さい時から傍を離れずに、何かと世話をしていた家の者が二人と、それに、いたって心優しい下女が二人、いつも彼の傍に附き添いていて、外出する時は愚か、寝るにも起るにも、始終世話をしておりました。

 『ああ。もし自分が貧乏人の子に生れていたらどうだろう、それこそ惨なもので、やれ不具者だの穀潰しだのと、厄介者扱にされるに相違ない。夫をこんなに何不足なく育てて戴くなんて、何という勿体ない事だろう』


 不具者ではありますが根が利口な李有祥は、時々こんな事を思いだしては、嬉涙に咽んでおりました。そして間さえあれば附添人達にこの話をして、有難がっておりました。ところがこの美しい親子の心持が、いつの程にか町の人達にも知れ渡って、ほんとに、あの無足さんは幸せな子だ。お父さんやおつ母さんからあんなに可愛がられて。それに無足さんも、お父さんやおつ母さんにそりゃ優しいんだそうだ。こう云う噂が町じゅうにぱっと立って、誰一人この李夫婦の美しい心を褒めぬ者とてはありませんでした。

 こんな具合ですから、家の内はいつも楽しそうな笑声や、面白い話などの中にその日を送っておりました。そのうちに無足は二十三の青年となりました。けれどやっぱり一人では動くことも出来ません。

 『自分の体がこんななので、お父さんやおつ母さんはどんなに心配しておいでだろう。このご恩は一体どんなにしたら返せるのだろう。何とかして恩報じをしたいものだ』

 前にも申しましたように、生れつき利口な無足は、この頃では明けてもくれても、ただそればかりを考えて思い悩んでおりました。ところが或夜不思議なことがもち上りました。

 無足がある夜、夜中ごろに眼を醒ましますと、枕元には今まで見たこともない白い髯を生やした老人が立っているのです。で、無足が不思議そうな顔をしてその老人を見上ると、老人はにこにこ笑らいながら、

 『お前が無足か、お前は父母に恩返しをしいたと大層心を痛めているそうじゃが、何もそう心配することはない、わしがいいことを教えて進ぜよう』と、優しく彼の側へ寄りました。『わしは神様のお使じゃ、神様がいい事を教えて下さる、わしはそれを云いにここへ来たのじゃ。心を落ちつけてよく聞くがいい。お前はここで一番奮発して、明日から旅に出るのじゃ。そうすればきっと幸運が得られる。わしの言葉を夢疑うではならないぞ』老人はこう云って、それから旅に出ればきっと親に恩返しが出来るという神様のお旨を伝えました。

 幾ら神様のお旨だと云って、言う事があんまり突拍子もないので、無足は驚き呆れて、迂散臭そうに老人を見ておりました。これはきっと自分が不具者なのをいいことにして、揶揄に来たのに相違ないとこう思ったのです。

 『でも、私はこの通り足なしの不具者ですから、どうして旅なんぞに出られましょう』無足は少し腹立たしげな様子でこう云いました。すると、老人はからから笑って、

 『ははあ、何を云うのだ、足がないから旅が出来ないと。歩かないでも轎がある、明日は奮発して轎で先ず裏山へ行くがいい、悪いことは云わず、神様のお言葉だ』こう言い終ったと思うと、老人の姿はまるで煙のように消え失せてしまいました。無足は不思議なこともあるものだと、いろいろに考え続けて、たうとうその夜は明方まですこしも睡ることが出来ませんでした。

 さてその翌日になると無足は、父親に向って、

 『お父さん、私一つお願いがあるんでございますが』と、いつもとはうって変った真面目な顔をして言いだしました。

 『お願いってどんな事だね、まあ言ってごらん。ほかならぬお前のことだもの、もしきけることだったら何でも聞いてあげるよ』お父さんは穏やかにこう訊ねました。そこで無足は昨夜起った事をすっかり話して、

 『こんな具合でございますから、どうか裏山へやって下さい』と熱心の色を顔に浮べて頼みました。

 お母さんはこれを聞くと大層心配して、

 『まあお前、何を言いなの。お前のような体でそんなことが来るものですか』と云って、すぐに反対しました。お父さんも、無足の願いが余り無法なように思われたので、苦い顔をして黙っておりました。足なしが、一人旅に出ようと云いだしたのですから、両親がびっくりしたのも無理はありません。けれども無足はなかなか思い止りません、いろいろに言って頼みます。お父さんやお母さんも優しい無足の心根はよく分っておりますが、そうかと言ってこんなに無鉄砲な願いを許すわけにもゆきません。そこでお父さんは、

 『で、お前裏山へ行って何をするつもりなんだい』と訊ねました。

 『山に行って好い土地を見つけ、そこを開墾しようと思うんです。決して御心配なさいますな。私は轎に乗ってその上から検分もしたり監督もするんです……』

 これを聞くとお父さんも無足の熱心さにやっと心を動かされて、

 『そうか、それ程お前がやりたいと思うのだったら、なる程それも好いかも知れんな』と、どうやら許してくれそうな口ぶりになって来ました。

 『それじゃ、やって下さいますか』

 『うむ、そんならまあ慰みのつもりでやってごらん』

 無足は大喜びです。すぐさま自分の部屋に帰って、大急ぎで裏山行の準備に取りかかりました。

 可愛い而も不具ものの息子が、新しく大仕事を始めようというのですから、お父さんもその資本として、銀三千元、日本で云えば三千円と云う大金を出してくれることになりました。

 無足は願望が届いた上に、お父さんの情で三千元の資本金まで貰いましたので、その翌日になると準備を整え轎に乗って、元気よく裏山をさして出かけました。ところが裏山で開墾すると云ったのは、仕方なくその時遁れに言った出鱈目で、そんなことをしようなどとは夢にも思っておりません。ただあの不思議なお爺さんの言った、「裏山へ行け、そうすれば好い事がある」という言葉を一心に信じていたのです。で、無足は四五日の間と云うもの何をするでもなく、毎日毎日、轎に揺られて裏山に出掛けては、ただ山の中を此処彼処と歩き廻っておりました。父親は無足が一向開墾を始めそうな様子もなく、ただこうして毎日出て行くのを見て、

 『おい、どうだね、何処か好い土地があったかね』と幾度も訊ねました。すると無足はその度毎に、

 『いや、なかなか好い土地がないんですよ』と答えるばかりです。そしてなおせっせと裏山行を続けておりました。するとある夜のこと、先日の老人が枕頭に立って、

 『どうじゃ、少しは旅に馴れたか』と声をかけました。無足はにっこり笑って、

 『はい、大分馴れました』と答えて、それから『お爺さんは裏山へ行けばきっと好い事があるとおっしゃいましたが、いまに一向それらしいことがありません』と云いました。すると老人は、

 『あは、は、は……』と大きな声で笑って、『まだないか、実はありや嘘なんじゃ。ただ長い旅に馴れるようにその下拵えをさせたのさ。だが今度こそ本当じゃ。東方に向って行け、少し遠いが思い切って行くのだ』こう云ったと思うと、もう姿を消してしまいました。またも老人がこんな妙なことを云いだしたので、無足の心には疑が生じました。そこで、夜が明けるのを待って両親にこのことを打ち明け、色々相談の結果、幸い、両親が豫てから深く信じている易者があるので、それを呼んで卜占をさせることになりました。すると、易者は色々卜占をやってみて、これもやっぱり東の方へ行けばきっと好い事があると断言しました。そして両親にも無足は是非旅に出した方がいいと色々にすすめて、たうとう二人を納得させました。無足もこれに力を得て、いよいよ、東の方の遠い所をさして旅立つことになりました。何しろ今度は遠方へ旅立つと云うのですから、両親も種々と心を尽して世話を焼き、附添いには無足が不断から大層気に入っている、木仔水仔という二人の忠義な僕を附けてやることにしました。そして出発の前夜には、一家打揃って、出発の心祝と、賑やかな饗宴さえ催されました。

 いよいよ出発の朝になりました。無足は殊更元気よく、

 『それでは行って参ります』と両親に暇乞をして轎に乗り、木仔水仔の二人を従えて出発しました。両親はじめ一家の人々は、みんな門の所まで出て見送りました。中でも気の弱いお母さんは、轎の側に来て、細々と道中気をつけなければならない事などを繰り返し教えながら、目には涙をいっぱいためて泣いておりました。

 さて一同に別れを告げて家を出た無足は、ただ東の方東の方とそればかりを心にかけて轎を急がせました。側に付添いている二人の家来たちも、皆目そんなことは分りません。ただあの老人と易者の言葉通り、東へ東へと進んだのです。こうして十日ばかりと云うもの、山を越え川を渋り、曠原を横切りなどして、ただ東へ東へとあてのない旅が続きました。無足はその間じゅう轎の上でただ一人、持って来た三千元の金の遣方ばかり、じっと考え込んでおりました。

 家を出てから十一日目に、轎はある一つの村に来かかりました。見るとそこには美しい一筋の小川が流れていて、その傍には一人の老人が川端に跪んで、流れる水をじっと眺めておりました。轎の中からその有様をちらりと見た無足は、轎脇に附添いて居る木仔に向って訪ねました。

 『おい木仔、あれは何をしているんだ。ほら向うの川端に老人が座っているじゃないか』

 けれど木仔にはその老人が何をしているのやら、さっぱり分りません。同僚の水仔に向って、

 『おい、あの爺さんは一体何をしているんだい』と主人と同じようなことを云って訪ねました。ところがこれもやっぱり分らないのです。三人は不思議に思って、その方へ轎を進めました。その時水仔はこの老人の傍に魚籠が置いてあるのを目早く見つけて、

 『ああ魚籠がある、爺さん釣をやっているんだな』と叫びました。木仔もそれを見て、

 『成程な。じゃあの爺さん、大方漁師なんだぜ』

 無足は其所で轎を止めさせて、木仔を何が獲れているか見に遣りました。木仔は急いで老人の方へ行きましたが、すぐに引返して来て、

 『あの爺さん、やっぱり釣をしているんです。今日は何だか珍しい魚というのが見たくなって、また老人の方へ轎を進めました。

 『お爺さん、大層ご精が出ますね』と轎が老人の傍に近づいた時、無足は笑顔を見せながら、轎の中から声をかけました。『何だか、大層珍しい魚が獲れたそうじゃありませんか、一つ私に見せて下さいませんか』

 『さあさあ、ご覧なさい。何と珍しい魚でしょうかな』老人はさも得意げにこう言いながら、魚籠を持ち上げました。それを木仔が受取って無足に見せました。無足は魚籠の中を覗き込みながら、

 『成程どうも珍しい魚ですね、一体何という魚ですかね』と訪ねました。

 『古今未曾有と云うんですよ』

 『へえ、古今未曾有と云う魚ですか。魚も珍しいが名も妙な名ですね。私はまだこんな魚は見たことも聞いたこともありません。それに書物にだってきっと載ってはおりませんよ』

 『それやそうでしょうとも、何しろこんな魚は千年に一尾か、悪くすると万年に一尾、捕れるか捕れないかと云うくらい、珍しい魚なんですからね』老人はこう言って鼻を蠢かしました。

 『珍魚を見せられて無足は、何とはなしにこの魚が欲しくてたまらなくなりました。そこで、

 『ねえお爺さん、この魚をどうするんです、どうせ売るんでしょう』とこう訪ねました。すると老人はふふんと鼻の先で笑って、

 『売ってもいいんだがね、何しろ高いものだから、失礼だが、まあお前さん方にや手が出ますまいよ』と、空嘯きました。けれど無足はそんな事など気にもかけない様子で、

 『ははあ、では私は買えないとおっしゃるんですか。で、一体幾許なんです』と笑いながらまた訊ね返しました。

 『まあまあ、お止しなさい、どうせ買えやしませんよ。値段なんか言うがもなあありませんよ』老人はこう言って、てんで対手にしようとしません。この態度にさすが温厚な無足も少しむっとして、

 『おい、お爺さん、そう見縊ったもんでもあるまいぜ。兎に角買える値段なら手を打とうじゃないか』と言いました。

 『じゃあ言うがね、安くしたところで三千五百元さ、はは驚いたろう』老人はこう云って無足の顔を見ながらにやりと笑いました。

 成程珍魚には相違ありません。けれどいくら珍魚だと云って、魚一尾が三千五百元とは……まず木仔と水仔が眼を円くしました。無足もさすがに度胆を抜かれて、

 『三千五百元だって……この魚一尾が』と思わず念を押しました。すると老人はますます得意になって、

 『そうさ、幾度言っても同じことで、安くして三千五百元さ』と大変な鼻息です。無足の懐には三千元しかありません。みんな払ってしまうとしてもまだ五百元不足です。と言ってこの儘引退がるも残念です。主人はてっきり気が違ったに相違ないと思ったのです。けれども無足はそんな事には一切お構いなしで、強情に頑張る老人をいろいろ説きつけて、到頭一尾の魚を三千元で買いとってしまいました。そしてこれでいいとばかり、大事な獲物を生簀に入れて自分と一緒に轎に載せ、意気揚々と我が家をさして帰って参りました。無事に帰った息子の姿を見た両親の喜びは言うまでもありません。それから無足は、両親に旅中の出来事を一つ残らず物語って、珍魚を手に入れたことをさも得意らしく話しましたが、お父さんはこれを聞くと、苦い顔をして黙っておりました。けれどおつ母さんが息子の帰宅をただもう無性に喜んでいるので、それに可愛い息子が好きでしたことだこうと思って、別に小言も言いませんでした。無足は久しぶりで自分の部屋に落ちつきました。そして例の珍魚を、美しい、深い、大きな鉢に入れて飼い始めましたが、それからというもの、毎日毎日その傍を少しも離れず、木仔水仔や下女を指図して、何くれとなく世話をして暮しておりました。夜は自分の部屋に持ち込んで、自分の寝台の傍に置かなければ寝ないという程の可愛がり方なのです。するとある夜中のこと、無足は誰かしら自分の枕許で優しい声で自分を呼んでいる者があるような気がして、ふと眼を醒ましました。見るとそこには例の珍魚が水の中から頭を半分ほど出して、自分を呼んでいるのです。

 『もし、若旦那さま。お願いでございますから、どうぞ私を元の川へ放して下さい。そうすればお礼としてこの珠を差上げます』珍魚はこう言いながら、一つの美しい珠を出して見せました。『この珠は、天下無類の宝珠で、もしあなたが欲しいと思いになるものがあったら、この珠に注文さえなされば何でも得られます。いいえ、決して欺すのではございません、お疑なさいますな、わたしも神もお使いでございます』こう云ったと思うと、魚は水の中に沈んでしまいました。

 その翌朝になると、無足は昨夜珍魚の云ったことを疑わず、自分は又ぞろ轎に乗り、木仔水仔を引連れて、前に来たことのある例の川に行き、珍魚をその川に放してやりました。珍魚はさも嬉しそうに水の底へ沈んで行きましたが、生簀の中には昨夜の言葉の通り、一つの珠が残って居りました。無足はその珠を家へ持って帰って、両親にこの事を話しました。けれど両親は頭からそんなことは信用しませんでした。そこで無足は、

 『では一つ試してみましょう』と、手にした珠に向って、『おい約束だ、此処へ山海の珍味を並べてくれ』と云ってみました。すると、これは不思議、何処からともなく見知らぬ人が現れて、紫檀の卓を置き、その上に大皿小皿に盛り上げた海山の珍味を並べはじめました。両親はじめ居並ぶ人々は、あまりの不思議さにただ吃驚するばかりで、口もきけない程でした。やがて一同はその御馳走で楽しい饗宴を開きました。これで両親も珠の不思議の力をすっかり信用して、その次には無足に足を貰ってはどうだと言いました。無足とてもそれがないばかりに、今迄長い間不自由していたのですから、早速足を註文しますと、これも見る間に二本の立派な足が腰の所からによきよきと生えて、生れつき不具合の無足が、忽ちのうちに立派な一人前の男になりました。本人の無足は言わずもがな、お父さんやお母さんの喜びはどうでしたらう。これもみんな無足が日頃からよく神様のお吩咐を守ったお蔭だというので、宝珠はすぐに立派な桐の箱に納めて、みんなで神様にお礼を申しました。