2008年7月15日火曜日

猿になった我儘娘

 昔ある処に、劉金水と云う、大地主で金満家がありました。金水は、至って正直な律義者、親譲りの資産を大切に護っているばかりでなく、こんな大家の旦那にも似ず、家の者達と一緒になって、骨身を惜まずいつも働いていることです。そして、土地の人達には情をかけ、村の事にも何かと世話を焼き、貧乏な者は救ってやると云う風ですから、なかなか評判も好く、みんなから慕われておりました。

 ある年の秋、丁度菊の花の咲く頃のことでした。金水は自分の誕生祝と菊見とを兼ねて、酒もりを催すことにして、親戚や知人にそれぞれ案内状を出しました。やがてその日が来ました。定の時刻になると、招待された人達は、みんな晴やかな顔をして大勢集って来ました。広いお庭も部屋部屋も美しく飾りたてられていて、彼方此方に置いてある卓には、いろいろのご馳走が山のように盛り上げられ、その上お庭の一隅には、余興の舞台が設けられているという具合で、何一つとして足らないものはありません。

 饗宴は賑かに始められました。ご馳走もおいしければ余興の芝居も大層面白い、もうこの上何も言う処はありません。笑ったり食べたり話したり、お客達はみんなもう恐悦です。ところがこの酒宴のまつ最中、何処をどうして紛れ込んだものか、痩せ衰えた一人の乞食爺が、杖に縋りながらとぼとぼと汚い姿を現わしました。そしてぴょこぴょこ頭を下げては恵みを乞うて廻りはじめました。お客は、みんな気味を悪がって対手にならず、家の者は忙しいので、そんな事にはちょっとも気がつかないでいたので、誰もこの乞食を逐い拂うものもありませんでした。乞食はそれをいいことにして、のこのこと奥の方へはいって行きました。其処ではこの家の娘が、友達と楽しそうに話をしておりましたが、不意に乞食爺が姿を現わしたので、娘はびっくりして叫びました。

 『まあ厭だ。お前何しに来たの。さあ、彼方へお出で、此処はお前なんかの来る所じゃないよ。何て汚い乞食爺だろう。とっとと出て行くんだよ』

 けれど乞食は、なかなか出て行くような気色は見えません。にやりにやりと笑いながら頭を下げて、

 『お願いでございます、わたくしはまだ今朝から何も食べていないので、お腹が空いて堪りません。どうぞ残飯でも一杯戴かして下さいまし……』と、震える微かな声で憐れみを乞いました。すると娘は、

 『何言ってるの、此処にはお前にやるものなんかありやしないよ』と声を荒らげて叱りつけました。『さあ、早く出て行け。そんな汚い姿をして、お客さま方に失礼じゃないか。何を愚図愚図しているの。出て行けと云ったらお行き』

 『でもございましょうが、わたくしは今朝から……』

 『お前のお腹が空いていようといまいと、そんなことわたしの知った事じゃないよ。何も云わずに出て行くんだよ』こう言いながら娘がとんと突くと、乞食はばたばたとそこへ倒れてしまいました。すると娘は側にいた犬を嗾かけました。

 娘には突き倒され、その上犬にまで噛みつかれた乞食爺は、痛さを堪えながら起き上ると、また杖に縋ってとぼとぼと門の方へ出てきました。そして歩きながら、

 『あああ、大家で我儘に育ったお嬢さんにも困ったものだ。親にも似ない鬼子だな。こんな真似をしていりゃ、末にはきっと悪い報いが来るにきまっている。考えてみりゃ可哀そうなものだなあ』と、独言を言いました。

 丁度その時、乞食はまだ年の若い一人の娘が布呂敷を抱えて、急ぎ足に門を入ろうとしているのにぱったり出遭いました。娘は、「まあ、気味の悪い。薄汚い乞食だこと」とでもいうような顔をして、そのまま門を入って行こうとしましたが、何と思ったのか、ふと立ちとまって、

 『お爺さん』と声をかけました。そして乞食の傍へ後戻りして、『まあお前さん、どうしたの。ほら、こんなに血が出ているじゃないの。ひどく痛むの』と、優しく云いながら、手拍を裂いて血の出ている処を縛ってやりました。

 『ご親切に有難うございます。何とお礼の申しようもございません。それにひきかえこの家のお嬢さんは、何という酷いお方でございましょう』こう言って、乞食は先刻の出来事をすっかり話しました。

 『まあ、家のお嬢様が……』それをすっかり聞いた娘は、こう云って驚きました。そして、朝からご飯を食べないのでは、さぞお腹が空いたろう。一時凌ぎにこれでもお食がりなさいと、手に持っていた紙包みのお菓子をくれました。この娘は劉の家の女中だったのです。

 『それじゃ、折角ですから、一つだけ戴きましょう。どうも有難うございます』

 『いいのよ、そんなこと言わないで、みんなお食がり』

 『でも、わたくしがみんな戴きましては、あなたのがなくなってしまいます』

 『そんな心配はいらないわ。わたしは家へ帰りさえすりゃ、何でも食べるものはあるんだから……それじゃ大事にお行きなさいよ』娘はこう言い残して行きかけました。すると乞食は、

『待て、娘』と、今までとはうって変った態度で呼び止めました。『そなたにわたしが何と見える。ただの乞食爺としか思えないか』

 言うことが余り不意なので、娘は驚いてしまって、暫くは言葉もなく、乞食爺の顔を見つめておりました。

 乞食はにっこり笑って言葉を次ぎました。

 『余り不意なので、さぞ驚いたことだろう。実を言うとわしはな、この村の者が日頃信仰している月老爺じゃ。いやそんなに驚かなくてもいい。わしは時々こういう姿をして、世の中の善人や悪人を調べて歩くのじゃ』

 これを聞いた娘は、そのままそこに平伏してしまいました。それもその筈で、月老爺と言うのは、そこから程遠くない処の廟に祭ってある神様なのです。乞食はなおも言葉を次いで言いました。

 『お前は実に美しい優しい心を持っている。人間は誰でもみんなそうなくではならん。悪いことをすれば悪い報が来るように、善い事をすれば、きっと善い報が来るのじゃ。お前は今日わしに大変親切にしてくれた。そのお礼に、わしはお前の顔を心の通り美しい顔にしてやろう』こう云って、乞食爺は懐から美しい布に包んだ団扇のようなものを取り出して、心のうちで何か呪文を唱えながら、その団扇で女の顔を煽ぎはじめました。が、やがてそれもすんだものと見えて、

『さあ、これで可い、美しい女になった。これからも決して今の心がけを失ってはならぬぞ』と云ったかと思うと、不思議やその姿は、煙の如く消え失せてしまいました。

 後に取り残された女は、まるで狐にでも魅まれたような気がして、暫くはそのままぼんやりしていましたが、やがて屋敷の中へ入って行きました。そして向うからお嬢様がお伴も連れず、たった一人で此方へ来るのに逢いました。そこで娘は、

 『おやお嬢様、お一人で何処へおいで遊ばすんでございます』と声をかけました。すると、相手は娘の顔をさも不審そうにじろじろと覗きこみながら、いかにも丁寧な調子で、

 『はい、ちょっと其処まで。でもあなたは何誰でございましたから知ら。ついお見それ申しまして』と言いました。

 『まあお嬢様、お揶揄ひ遊ばしては厭でございます。わたくしは梅白ではございませんか』

 『梅白様とおっしゃるのでございますか。どこのお嬢様だったか、どうしても思い出せませんが』

 『あの長年あなた様のお家にご奉公申して居ます李氏梅白でございますよ』

 『まあ、あの梅白だったの』お嬢様はやっと気がつくと、驚いてこう叫びました。『わたしすっかり人違いしていたわ、それにしてもお前どうしてそんなに美しくなったの』

 梅白もこれを聞いて、それではさっきの乞食の言ったことが本当だったのか、とやっと気がつきました。そしてさっきのことを、手短にお嬢さんに話してきかせました。さあ、お嬢さんは羨ましくてたまりません。

 『あれほど不縹緻だった李氏梅白さえ、あんなに美しくなれたんだもの、もしわたしがお願いしたら、どんな美しい女になれるだろう』こう考えるともう矢も楯もたまらなくなって来ました。そしてたった今その乞食を酷い目に合したことなどとんと忘れてしまって、

 『うさだ、わたしも行って、一つお願いしてみよう』と一人ごちて、すぐさま出かけることにしました。

 根が我儘者のことですから、お客様が大勢来ていようが、家の人が日を更えてはと言って止めようが、そんなことには一向頓着ありません。もう日暮に近い道をたった一人どんどん急いで、たうとう月老爺の祀ってある廟に来ました。そしていつものように礼拝紙を焼いて、香を焚き、神前に跪いて三拝九拝、切りに神に祈願をして、

 『どうぞ、わたしを美しい女にして下さいまし。李氏梅白よりもっと美しい女にして下さいまし。もしこの願いが叶えて戴けますれば、どんなお礼でもいたします』とこんな蟲のいいことを祈っておりました。すると不意に廟の奥でがたんと何か落ちたような音がしましたので、はっと思って四辺を見廻すと、見知らぬ一人の老人が、いつの間にか廟の入口に立っているのでした。頭の髪も膝のあたりまで垂れている鬚も、みんなまっ白で、その目は恐ろしいほどきらきら光っています。

 『此処へ来い』手招ぎしながら、老人は静かにこう言いました。けれど娘は何となく気おくれがして、その場に蹲ずいたまま、もじもじしておりましたが、いつまでそうしているわけにもゆかないので、恐る恐るその傍へ寄って行きました。その時老人は急に恐い顔をして、

 『ああお前だったか、今わしに願をかけたのは』と薄気味の悪い微笑を口のあたりに浮べながら言いました。

 『お前は劉の娘だったな。確かにそうだろう』

 と、いつも人からちやほやされている娘には、その言葉の調子がぐっと癪に触りました。で、

 『ああ、わたしは劉の娘だよ、それがどうしたというの?お前さんこそ誰なんだい』と、佛頂面をして突剣呑に言い放しました。

 『わしは月老爺だ。お前は家の召仕に話を聞いて来たんだな。あはは、馬鹿な娘だ』

 『お前さんが月老爺だって。可い加減な事をお言いでない、神様はそんな怖い顔をしていらっしゃいませんよ。あたし、お前さんのような老耄れ爺さんに用はないんだから、だまってひっこんでおいで』

 『用がないって。だがお前はたった今、美しい女になりたいって、わたしにあれほど頼んだじゃないか。待てよ。今すぐ望み通り美しい女にしてやるからな』

 老人はこう言いながら、傍の井戸から水を汲んで、それを口に含んだと思うと、何か呪文を唱えて娘の顔に吹きかけました。

 『あっ』不意をうたれた娘は驚いてこう叫びました。『失礼な、何をなさるんです』

 『ははは、まあ、そんなに怒るな。早く帰って鏡を見てごらん。お前の望み通り、いい女になったよ』

 老人はこう言ったと思うと、そのまま姿を消しました。娘は大急ぎで家に帰って、すぐさま自分の部屋へ駈け込んで、すぐに鏡の前に立ちましたが、その瞬間、キャッと一声叫んで、そのまま泣崩れてしまいました。それもその筈で、鏡に映った顔は美人どころか、額には深い横皺が刻まれ、口は恐ろしく前の方へ突き出ている、丁度猿その儘の顔だったのです。あまりの口惜しさに娘は顔も上げずにおいおい泣いておりました。するとこの時部屋の入口の方で、がたんという音が聞えて、誰か来たような気配がしましたので、娘はふとその方へ目を向けました。けれど人らしいものの姿も見えません。そして、そのかわりどこからともなく、皺枯れた声で、

 『これ娘、ようく聞け。その方の今の悲しみは、無慈悲にもあの乞食を逆待したその報い、月老爺の罰じゃぞ。身は大家の娘と生れながら、余り無慈悲でわが儘なので、神の怒りに触れたのじゃ。誰を恨むこともない。みんな自業自得というものじゃ』と云うのが聞えました。それでもまだ娘には、自分が悪かったのだということが分りません。ただ口惜しくて悲しいばかりで、

 『ええ、見るのも厭だ』と傍にあった鏡を取って床に叩きつけ、人に顔を見られるのが嫌なので、中から戸に錠を下して泣いておりました。

 余り長い間娘の姿が見えないので、家の人は騒ぎだしました。そして娘の部屋へ来てみますと、戸にはしっかりと鍵がかけられていて、その上中からは変な物音が聞えて来ます。これはただ事ではないというので、皆でよってたかって、やっとのことで戸をこぢ開けて見ると、前に言ったような始末です。

 『お嬢さんが猿になった。お嬢さんが猿になった』みんなこう言って騒ぎたてました。

 そこへ主人夫婦も驚いて駈け付けて、どうしたわけかといろいろに問い訊したので、娘も仕方なく今までの事を残らず物語りました。これを聞いた両親はひどく心配して、何は兎もあれと言うので、すぐさま人を月老爺の廟にやって、お詫びをさせることにしました。けれどもう後の祭でどうすることも出来ません。猿顔がもとに戻らないばかりか、その翌日からは体に長い毛が生えだして、四五日後には総身毛で埋ってしまいました。そして手掴みにして、南瓜や藷や人参などを生のままがりがり囓るという始末です。その上声なども、もう人間の声は出なくなって、ただきいきい、きいきいと鳴くばかりです。そして人間が近づくと大変恐れて、歯を剥き出しながら逃げ廻るので、手のつけようがありません。両親の失望落胆は言うまでもありません。医者よ薬よ加治祈祷と、あらゆる手だてを講じて見ましたが、何の利き目もありません。で、しまいにはたうとう断念めてしまいました。

 家に置いては外聞も悪いからと云うので、山へ追い遣ってしまうことにしました。そしてみんなで、あっちこっちから追い廻しましたが、こうなると一層ひどく暴れ狂うばかりで、なかなか出て行こうとしません。みんなへとへとに疲れはてて、どうしたものだろうかと相談している処へ、ひよつくり姿を現わしたのは例の乞食爺でした。乞食はさも心地よさそうにからからと笑って、

 『ははあ、たうとう猿になりおったな。この猿を追い出すには、磚瓦を火に熱く灼いて、それを猿の坐る所に置くといい』と云ったと思うと、そのまますうっと煙のように消えてしまいました。で、早速その言葉通りにしますと、そうとは知らぬ猿になった娘は、暴れ疲れてその上にひょいっと坐ったから堪りません。きゃあ、と一声高く叫んで飛び上ったと思うと、裏山をさして一目散に逃げだしました。そして、それからと言うもの決して姿を見せませんでした。

 今でも台湾の山奥には、お臀の赤い猿が棲んでおりますが、これはみんなこの娘の子孫で、お臀の赤いのは、灼けた磚瓦の上に坐って火傷した痕跡が、ずっと今まで伝わっているのだと云われています。